月間MVPにファン投票中間発表もトップ! 育成選手から開花した阪神・原口文仁の成長を解明!
★育成上がりの選手では初めての快挙!
打率.380、5本塁打、17打点の活躍が認められ、5月の月間MVPに選出された原口文仁(阪神)。同賞の受賞は育成選手出身の打者としては初めてで、阪神の捕手では田淵幸一氏以来の快挙だという。今年の4月27日に育成選手から支配下登録に復帰した、プロ入り7年目の男に一体何が起きたのだろうか?
★感性が感じられなかった高校時代
帝京高時代の原口に対し、私はこう評している。
「単純に打つ・投げる・守るという部分での資質は認めていたものの、そのプレーからは何か訴えかけるものが感じられなかった」
腕だけを伸ばして捕球しようとする雑なキャッチング。投手への一球一球の返球も、座ったままで、気持ちがこもったものではなかった。ただ投手に返すだけの無機質なものであり、そこから投手の心理を汲み取る、心の変化を探ろう、という捕手に必要な洞察力は皆無だった。こういう選手は投手から信頼されないし、相手打者のことなどわかるはずもない。捕手に向いた性格の選手とは、当時の彼のプレーからは感じられなかった。それゆえに評価はまだプロ入りするのには時期尚早だと判断していた。
★元々持っていた才能とプロで身につけたもの
育成選手から……、と言われる原口だが、元々は2009年にドラフト6位で指名された支配下登録の選手だ。入団3年目に腰を痛めたこともあり、育成選手となった。
そういった故障があり、また捕手というポジション柄も関係するだろうが、その才能が開花するまでには、実に6年以上の月日が必要だったことになる。そこで、高校時代はどんな選手で、このブレイクにあたり、どこが成長していったのかを分析していきたい。
高校時代の打撃フォームと今の打撃フォームを見比べると、実はあまり変わっていない。技術的に何か劇的に変わったというよりも、元々持っている土台の上に、プロで対応するための要素を加えた、ということだ。爆発的な活躍を見せた打撃に関しては、本質的には大きくは変わっていなく、高校時代から高いレベルだったことは確かだった。
プロ入り後に変化した、プロで対応するために身につけたことは2つある。
1つ目は、遅かった始動を早めることで、打つまでの余裕が生まれたこと。もう1つは、無駄な動作を極力削り、確実性を追求してきたこと。高校時代は始動が遅い割に動作がいろいろあって、ボールが到達するまでに忙しい選手だった。そのあたりの無駄をなくすことで、1軍の投手にも通用する打撃を身につけたと考えられる。
★劇的に変わったのは守りの“心”
明確に結果を出した打撃での成長が見られただけではなく、守備面ではさらに大きな変化が見られた。
今でも投手への返球は座ったまま返す。しかし、1球1球の返球に気持ちがこもっているというか、ただ無機質に返球していた高校時代とは違っている。さらに、腕だけを伸ばして小手先だけで捕球していたプレースタイルも大幅に改善。プレー全体に人を観察する、心理を汲み取ることができるような深みが出てきている。
この心理の変化は、プロで7年間やってきたからこそ身につけられたのではないだろうか。
★“捕手・原口文仁”にこだわり続けろ!
原口のプレーを久々に真剣に見ていると、守備面での気配りができることから、阪神に待望久しい大型捕手の誕生ではないか、と期待をしたくなる。
その反面、かつて“育成枠落ち”の大きな原因となった腰の持病があるとも聞く。そう考えると“不動の正捕手”というよりも、適度に休みを入れながら、他の捕手と併用しながら起用されていく方がベターだろう。体と相談する必要はあるものの、今の原口ならば、その中心であり続けられる可能性を感じる。
実はここ数年、2軍では捕手よりも内野手としての出場が多かった。打撃を生かし、他のポジションにコンバート、という選択肢が考えられていたのだ。これからもその案は浮上してくるだろう。
しかし、私は“捕手・原口文仁”にこだわり続けてほしい。球界で数少ない打てる捕手だから、ではなく、守備面での魅力、“捕手”そのものに魅力をより感じるからだ。矢野燿大引退以来、固定できなかった阪神の正捕手の大本命こそ、この原口文仁に違いない。
文=蔵建て男(くらたてお)
1972年生まれ、神奈川県出身。ウェブ上を中心に活動するスカウト的観戦者の草分け的な存在で、人気ドラフトサイト「迷スカウト」の管理人。独自の視点から有望選手のレポートを発表し続けている。ハンドルネームはもう1つの趣味だった競馬で「蔵を建てたい」という願望を込めて名乗り始めた。Twitterアカウントは@kuratateo(https://twitter.com/kuratateo)