いよいよ今日、組み合わせ抽選会が行われ、開幕が目前に迫った甲子園。年々、各地域のレベル差はなくなっているだけに、組み合わせ次第では1回戦から延長必至の死闘が繰り広げられるかもしれない。昨今、タイブレーク制度導入が議論になるなど、長過ぎる延長戦を危惧する声も多いが、やはり延長戦で数々の伝説が生まれてきたことも事実だ。特に、両校死力を尽くしても決着がつかず、翌日に再試合が行われる「延長引き分け再試合」は、どんな名演出家をもってしても描けないドラマばかりだ。今回はそんな『再試合』の歴史に迫ってみたい。
【昔は無制限一本勝負!?】
過去の高校野球の歴史を紐解くと、引き分けのまま試合を途中で打ち切るルールは存在していなかった。古くは1933年、現在の夏の甲子園にあたる第19回全国中等学校優勝野球大会で、東海地区代表の中京商(現中京大中京)と兵庫県代表の明石中(現明石)の一戦は、なんと延長25回を記録したこともあった。試合時間は4時間55分。中京商の吉田正男が336球、明石中の中田武雄が247球を投げ、2人とも完投。25回裏に中京商が相手のエラーでサヨナラ勝ちしたという、壮絶な試合だった。
【ルール改正のきっかけはアノ人のおかげ】
その歴史的一戦の25年後。1958年の春季四国大会に出場した徳島商の試合をきっかけに、新ルールが発足することになる。徳島商のエース・板東英二が高知商との試合で延長16回、翌日の高松商戦でも延長25回と、合計2日間で41イニングを投げたのだ。さすがに板東の疲労をみかねた大会役員はルール改正を提案。「延長18回を終えても同点の場合は、後日再試合を行う」という新規定が設けられたのだった。
“徳島商の板東英二”とは、その後、中日で活躍し、現在はタレントとして活躍している、おなじみの板東英二氏であり、この年の夏の甲子園にも出場した。その夏の甲子園では準々決勝戦の魚津戦で延長18回を投げ抜き、再試合が決定。なんと自らがきっかけとなった新ルールの、適用第1号となったのだった。