★阪急ブレーブスに所属した最後の選手
中嶋聡を初めて見たのは1988年。予備校通いの傍ら、夜な夜な西宮球場に逃げ込んでいた時だ。僕の前に強烈な「鉄砲肩」を持って現れた19歳、それが中嶋だった。秋田の鷹巣農林という高校球界でも当時聞きなれなかったチームから入団した2年目の選手。1969年3月27日生まれだから、あと6日誕生が遅ければ僕と同級生でもあった。
阪急ブレーブスが存続していれば来年が創立80年になるところだった。まだ僕の中に「阪急」はあり続けるが、中嶋の引退でいよいよ「阪急」を感じる選手がNPBから姿を消すことになる。思い出深い選手に対して失礼を承知の上で書かせてもらうが、“まさか”あの中嶋がこれほどまで長くプレーするとは思いもしなかった。