“雲はわき、光あふれて……”と、高校野球ファンならずとも聞き覚えのあるこの曲は、ご存じ「栄冠は君に輝く」。副題は「全国高等学校野球大会の歌」といい、甲子園大会では5回裏終了時のグラウンド整備中に流れている。使用されるようになったのは今から70年近く前、1948年の第30回大会から。この歌には、実は興味深い誕生秘話がある。大会歌誕生の経緯について紹介しよう。
この曲を作曲した人物は古閑裕而(こが・ゆうじ)氏。早稲田大の「紺碧の空」や慶應義塾大の「我ぞ覇者」と、歴史ある両大学の応援歌も作曲した日本スポーツ音楽家の大家である。野球以外でも、東京オリンピックの入場行進曲を作曲するなど、実は知る人ぞ知る有名作曲者なのだ。
1948年、主催の朝日新聞社は「全国高等学校野球大会の歌」を全国的に募集。石川県で文筆活動をしていた加賀大介(かが・だいすけ)という人物が作詞を完成させると、当時の婚約者だった道子さんへのプレゼントという気持ちも込め、作詞者名を「加賀道子」として応募した。
実は加賀氏、16歳の時に野球のプレーによるケガがもとで右足のヒザから下を切断。野球のできない身体になってしまった。白球を追いかけた少年時代の思い出、断念せざるを得なかった甲子園への憧れ……。そんな想いを歌詞として昇華させたのがこの作品だった。
その熱意が伝わったのか、応募総数5,252通のなかから最優秀作品として見事に当選。それから長い間ずっと作詞者は「加賀道子」として、そのままになっていた。
しかしながら夏の甲子園が空前の盛り上がりをみせ、大会歌も有名になるにつれて、加賀大介氏の悩みは一層深くなっていった。本当の作詞者は自分であること、婚約者の名前で応募してしまったことがずっと気になっていたようで「いつかは本当のことを……」と20年間も悩み続けてしまう。
そして、1968年、第50回大会の時に事情を全て明らかにした加賀氏。以降、作詞者は正式に「加賀大介」となったのだった。
ちなみに、この大会歌は意外なところでも使用されている。地方大会、甲子園を問わず、何らかの事情があって校歌が無い高校が勝利した場合は「栄冠は君に輝く」が校歌の代わりに演奏される規則になっている。
全国的に猛暑どころか“酷暑”といえる今夏。厳しい暑さのなかで戦っている甲子園の球児たちは、この大会歌に秘められた想いを知り、そして「野球のできる喜び」を感じて、悔いの残らないようにプレーしてほしい。