平成のトレード史を振り返る本企画。ここ30年で面白いトレードをしてきた球団といえば、やはり阪神だ。
特にパ・リーグに出された選手が水を得たように活躍する謎の事態も。一時は「安心の阪神印」とまで言われた。
さっそく阪神とパ・リーグの印象的なトレードを振り返ってみよう。
■1990年オフのトレード
阪神→ダイエー:池田親興、大野久、岩切英司、渡真利克則
ダイエー→阪神:吉田博之、藤本修二、西川佳明、近田豊年、右田雅彦
歴代最多の人数が絡んだトレード。当時、ダイエー(現ソフトバンク)・田淵幸一監督はなりふり構わぬトレード策に奔走しており、阪神が乗った形だ。
目玉は阪神・大野久。俊足の外野手でレギュラー格。対するダイエーは2ケタ勝利3回の藤本修二が中核だった。
結果はダイエーの勝利。大野久は盗塁王を獲得し、池田親興はリリーフで息を吹き返した。阪神に加入した5選手は誰も活躍できず。結果的には、田淵監督に戦力を提供しただけに終わってしまった…。
■1992年12月のトレード
阪神→オリックス:野田浩司
オリックス→阪神:松永浩美
1992年、久々に優勝争いを繰り広げて2位に入った阪神。「よーし、打線を強化するぞ!」とアタックしたのは、スイッチヒッターの松永浩美だった。
当時、松永はオリックス・土井正三監督(当時)との確執や故障もあり、1992年は打率.298、3本塁打、39打点の成績だった。当時32歳。下り坂に入っていたことは間違いない。
その松永が欲しくて欲しくてたまらない阪神が出したのは、なんと24歳の右腕・野田浩司。1992年は8勝9敗と負け越したものの、防御率2.98の好成績を残していた。
こういうことをすると結果は見えている。松永は結局、阪神では活躍できずに1年でダイエーにFA移籍。一方の野田は17勝5敗で最多勝を獲得した。
■2000年10月のトレード
阪神→近鉄:北川博敏、湯舟敏郎、山崎一玄
近鉄→阪神:酒井弘樹、面出哲志、平下晃司
このケースも印象的なトレードだった。阪神・野村克也監督(当時)から捕手失格の烙印を押された北川博敏。それまで1軍での出場機会にほとんど恵まれていなかったが、近鉄でプロ初本塁打を放つと、その年、ご存知の通り「代打逆転サヨナラ満塁優勝決定本塁打」を放ち、一世を風靡。その後も2004年に20本塁打を放つなど、しぶとく活躍した。
対する酒井、面出、平下は目立った活躍はなし。平下は準レギュラーを張ったこともあるが、1年だけだった。
そのほかにも平尾博司、トム・エバンスらが移籍先の西武でじわりと活躍し、「安心の阪神印」は頂点に。しかし、その後、阪神も下柳剛(日本ハムから加入)や平野恵一(オリックスから加入)、今成亮太(日本ハムから加入)など当たりを引いてくるようになった。
出て行く選手の活躍は嬉しいような気もするが、悲しいような気もする。昨年は榎田大樹が移籍先の西武で大活躍。また「阪神印」を生み出したことになる。ただしトレード相手の岡本洋介も、阪神でそれなりに活躍していることは付け加えておこう。
文=落合初春(おちあい・もとはる)