6月27日、雨天順延の影響で予定日より1日遅れとなったが、東京ヤクルトスワローズのマスコット・つば九郎が通算1500試合連続出場の偉業を達成した。1994年のデビューから22年目での快挙に、“球界のご意見番”こと張本勲氏(元東映ほか)も「あっぱれ!」を贈ったことが話題となった。
つば九郎も立派だが、この偉業の影にはマスコット界をともに盛り上げてきた他球団マスコットたちの存在があることも注視しておきたい。そして、阪急の“ブレービー”とオリックスの“ネッピー”の中に入って「マスコット界のパイオニア」として奮闘した島野修氏など、先人たちが未開の地を切り開いたからこその偉業だ、ということも忘れてはならない。
その「先人」の中には、ヤクルトのマスコットも含まれているのをご存じだろうか? つまり、つば九郎直系の先輩マスコットが存在したのだ。ヤクルトスワローズのマスコット史を振り返ってみよう。
『スポーツ・マスコット図鑑』(PHP研究所)によると、ヤクルトでは1979年頃から「ヤー坊」と「スーちゃん」という燕のマスコット(と着ぐるみ)を採用していた。さらに、その前年の1978 年、ヤクルトが初優勝を飾ったときの写真に、「ヤー坊」「スーちゃん」に似た着ぐるみが写っていたという。
他球団を見渡しても1978年時点でマスコットを採用していた事例はなく、このときの燕の着ぐるみこそ日本球界初のマスコットであり、翌年誕生する「ヤー坊」「スーちゃん」の原型ではないか、とされている。
この「ヤー坊」と「スーちゃん」、長らく行方不明だったのだが、昨年、沖縄県浦添市で発見され、一時ニュースなどでも話題となった。
2014年2月、浦添署が飲酒運転の根絶を呼び掛ける際に使用した燕の着ぐるみがつば九郎に似ていたことから、「なんちゃってつば九郎」と名乗って交通安全活動を開始。するとこれがネットで話題になり、球団が気づいて市に問い合わせたところ、長らく行方不明だった「ヤー坊」「スーちゃん」の「ヤー坊」であることが判明したのだ。
実は2003年3月に、浦添キャンプの記念としてヤクルト側から「ヤー坊」と「スーちゃん」の着ぐるみを浦添市に寄贈。しかし、担当職員が交代したことで寄贈の経緯や正式な名前がわからなくなり、“謎の鳥”として市役所の倉庫で休眠状態となっていた。そんな着ぐるみが浦添署に貸与されたことでようやく日の目を見たわけだ。浦添市と浦添署も「身元が判明してよかった」と胸をなで下ろしたという。
今年の浦添キャンプでは「スーちゃん」とともに、ヤクルトキャンプに陣中見合いに訪れた「ヤー坊」。こうしてみると、つば九郎の「お騒がせ体質」は先輩直伝のものであり、親会社と球団に脈々と受け継がれている乳酸菌のようなものなのかもしれない。
ちなみに、現存の球団で「先輩マスコット」がいる例としては、日本ハムファイターズの初代マスコット「ギョロタン」と2代目「ファイティー」の例がある。また、親会社が代わってはいるものの、ダイエー時代の「ホーマーホーク」はソフトバンクのマスコット「ハリーホーク」の兄、横浜ベイスターズ時代の「ホッシー」はDeNAのマスコット「DB.スターマン」の飼い主など、しっかりとした系譜として受け継がれている例もある。これらの球団では「レジェンズデー」と題した球団史を振り返る企画で、彼ら先代マスコットたちが登場する場合もあるので要注目だ。
球団史の振り返り企画といえば、最近では「復刻ユニフォーム」がおなじみのテーマだ。だが、さすがに毎年何着もやり過ぎのきらいがある。だからこそ、マスコットを通して球団史を振り返ってみるのも味のあるテーマではないだろうか。
■ライター・プロフィール
オグマナオト/1977年生まれ、福島県出身。広告会社勤務の後、フリーライターに転身。「エキレビ!」、「AllAbout News Dig」では野球関連本やスポーツ漫画の書評などスポーツネタを中心に執筆中。『木田優夫のプロ野球選手迷鑑』(新紀元社)では構成を、『漫画・うんちくプロ野球』(メディアファクトリー新書)では監修とコラム執筆を担当している。近著に『福島のおきて』(泰文堂)。Twitterアカウントは@oguman1977(https://twitter.com/oguman1977)