まずは「ゴールデンスピリット賞」について説明しよう。
この賞は報知新聞社が主催となる形で1999年に創設されたもの。対象者は様々な活動を通して社会に貢献したプロ野球選手。受賞者にはゴールデントロフィーと特別賞(100万円)が贈られ、また受賞者が指定する団体や施設に200万円が寄付される。
現在は、日本野球機構のコミッショナーである熊崎勝彦氏や読売ジャイアンツの長嶋茂雄氏など、6人の選考委員によって毎年1名の選手が選出されている。
先週の本企画で紹介した5名のなかでは、赤星憲広(元阪神)、和田毅(ソフトバンク)、栗山巧(西武)が同賞を受賞。ほかの能見篤史(阪神)、炭谷銀仁朗、秋山翔吾(ともに西武)、田中賢介(日本ハム)の4名も、そう遠くないうちに受賞するのではないだろうか。
それでは、選考基準が分かったところで、主だった歴代の受賞者を紹介していこう。
【第1回(1999年)受賞者】松井秀喜(元ヤンキースほか)
取り組み:少年のいじめ防止キャンペーン
「ゴールデンスピリット賞」の最初の受賞者は、巨人在籍時代の松井秀喜氏。
当時からいじめ撲滅キャンペーンなどの活動に、積極的に参加してきたことが認められての受賞となった。
その後もいじめに対する意見が新聞に掲載されるなど、いじめに苦しむ子どもたちに寄り添っている。
【第3回(2001年)受賞者】中村紀洋(元近鉄ほか)
取り組み:大阪教育大学附属池田小学校の慰問
2001年に起こった「大阪教育大学附属池田小学校児童殺傷事件」。
近鉄の地元で起こった凄惨な事件に胸を痛めた中村紀洋。当時の中村は近鉄の大黒柱。「自分にできることはないか」と考え、友だちを失った悲しみにくれる子どもたちを励ますべく、同校を慰問した。
その後、中村は近鉄の試合に500人の児童を招待。その優しさが受賞へとつながった。
【第9回(2007年)受賞者】三浦大輔(元DeNA)
取り組み:横浜市内の小学校での公演など
2016年限りで引退した“ハマの番長”こと三浦大輔も、地域への貢献が評価され、横浜の選手としては一番乗りでこの賞を受賞している。
三浦は2005年から横浜市内の小学校を訪問し、子どもたちと夢について語り合う『「星に願いを」プロジェクト』を発案。10年以上取り組んできた。
子どもの頃に「学校の先生になりたい」という夢も持っていた“ハマの番長”としては、「やって当たり前」のことだったのかもしれない。
“先生”三浦と触れ合った子どもたちにとっては、夢を持つことの大切さがわかる最高の授業になったはずだ。
【第14回(2012年)受賞者】藤川球児(阪神)
取り組み:骨髄バンクの支援など
2005年のオフ、出身地・高知県の野球少年が血液の病気でドナーを探していることを知った藤川球児は、骨髄バンクの支援をスタートさせた。
2007年には自身でドナー登録。2008年に骨髄バンクの普及を目的とした野球教室を開催するなど、地道な活動が実を結んでの受賞となった。
もちろん受賞後も、2015年には日本骨髄バンクが年に1度行う「骨髄バンク推進全国大会」に参加するなど、精力的に行動している。
【第18回(2016年)受賞者】内海哲也(巨人)
取り組み:「内海哲也ランドセル基金」の設立など
内海哲也は球団行事で児童養護施設を訪問したときに、「ランドセルを買う補助金がない」と聞いたことで一念発起。そして、立ち上げたのが「内海哲也ランドセル基金」だ。
2008年の154個を皮切りに、その年の投球回数や奪三振数に準じた数のランドセルを寄付。タイガーマスクの伊達直人もビックリ、9年間で実に1087個を届けた。
内海自身は小学校時代にランドセルを背負ったことがなかったため、今なおランドセルへの憧れがあるという。そのことも児童を支援する気持ちを後押ししているのだろう。
ちなみに施設へ贈られるランドセルは、巨人のオフィシャルストアなどで販売している「ジャイアンツオリジナルランドセル」。内海自身もデザインが気に入っているそうだ。
先週の記事、今回の記事で合わせて12人の選手を紹介したのだが、十人十色といえる社会貢献活動に取り組んでいたことが印象的だった。
多くの選手が1つのことに向かって結集するのも大きな力になるが、1人1人が様々な活動に取り組むとは、野球ファンの社会貢献活動への意識を広げることにつながる。それもまた大事なことだと感じた。
来年の「ゴールデンスピリット賞」は誰が受賞するのだろうか。そう考えつつ、筆者もなにかできることはないかと考えた。
まずは……、身近なところの募金から始めよう。
文=森田真悟(もりた・しんご)