金本知憲新監督誕生や藤川球児の復帰など、今オフは何かと話題の多かった阪神タイガース。忘れてならないのは、掛布雅之氏の2軍監督就任のニュースだ。
その背番号は「31」。現役当時に掛布氏本人が背負った番号である。“ミスタータイガース”の現場復帰のみならず、“31番・掛布”の復活に心躍らせたファンも多いことだろう。
掛布氏引退後、3年間欠番となっていた31番が、再びプレーヤーの背中についたのは、1992年。前年の甲子園で大阪桐蔭の初出場・初優勝の原動力となった萩原誠が鳴り物入りで入団。高校通算58本の長打力、三塁手という事で“掛布2世”の逸材と評価されていた。
しかし、プロの世界ではその才能は開花されず、通算本塁打はわずかに4本。期待された長打を生かせず1998年に近鉄に移籍。2000年に27歳の若さで引退している。
その後3年間空き番号だったが2000年に巨人から阪神へ移籍してきた広澤が、2003年の引退まで31番を背負う。
広澤引退翌年の2004年から31番を背負ったのが、当時タイガース期待の和製大砲・濱中治だ。前年の2003年前半、4番としてチームを牽引。優勝に大きく貢献した。その濱中の背番号31にタイガースファンは夢を描いた。
しかし、前年に負傷した肩のダメージは深刻で、31番を付けてプレーした2004年、2005年は両年とも100試合未満の出場に止まり、掛布以来の和製大砲誕生に期待したファンを落胆させた。
濱中の後、31番を付けたのは、濱中離脱時に活躍した林威助だ。168q/hのスイングスピードから放たれる打球は、痛烈なラインドライブを描きスタンドに突き刺さる。31番に相応しい長距離砲だった。
林が31の背番号を背負ったのは入団3年目の2006年から。2006年は主に代打での出場であったが、2007年は不振の濱中に代わり右翼手でのスタメンに定着。この年、初の規定打席に到達し打率.292、15本塁打と、自慢の長打を発揮した。
しかし、林の輝きは事実上この1年だけであった。この年、右肩を負傷。ケガを押してプレーした結果、翌年以降プレーに精彩を欠いてしまう。その間に左膝を負傷。2013年には戦力外となり日本球界から去り、昨季は母国・台湾のプロリーグでプレーしていた。
このように、阪神のなかでも特に期待された若手が、31番を背負ってプレーすると、ことごとく不振に陥っている。
特に濱中、林ともに同じ右肩を負傷する奇妙な因縁も合わさり、31番に不吉なイメージをもつファンも少なくない。
来季、そんな31番を背負うのは、「31」を最も輝かせた掛布だ。不吉なイメージを払拭できるか、そして31を背負う新たな選手が誕生するのか? 今後もタイガースの31番に注目したい。
文=井上智博(いのうえ・ともひろ)