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自薦に免除、中立地開催、そして1日で3試合!? いろいろあった第1回夏の高校野球・地方予選

 憧れの「甲子園」を目指し、各地で熱戦のはじまった高校野球。1915年、「第1回全国中等学校優勝野球大会」として、その歴史がはじまってから今年で100年ということで例年以上に注目度は高い。ここでふと疑問。100年前はいったいどのように代表校が決められたのか?

 第1回大会に出場したのは東北、東京(関東)、東海、京津、関西、兵庫、山陽、山陰、四国、九州の10地区の代表校。この10地区でそれぞれ予選が行われたが問題点も多かった。

 というのも、第1回大会の開催を主催社である大阪朝日新聞が発表したのが1915年7月1日のこと。大会は8月18日から。なんと1カ月半しか準備期間がなかったのだ。そのため、予選大会の方式を巡って、各地で揉めることも多かった。代表的な事例を見ていこう。



東北大会


 当初、東北地区からの出場を朝日新聞社側は想定していなかった。ところが、大会開催を知った秋田中が「東北代表として出場したい」と立候補。さすがに無条件で出場させるわけにはいかないと、臨時の東北大会を開催した。秋田中は大曲に出かけて横手中、秋田農業の2校と戦って勝利し、自らの手で代表校の座をつかみ取ったのだ。

 ただこの秋田中、主催サイドへは強くアピールしたのに身近な人たちへの説得が足りなかった。11人いた部員の一人が「大坂まで野球をしにいくとは何事か!」と父親に叱られて出場を認めてもらえず、わずか10人で全国大会に出場。しかも、大会中に一人ケガをしてしまい、ギリギリ9人で試合を続けるはめに。それでも決勝戦に進出し、準優勝に輝いたのだから立派だ。

東京大会


 他地域に比べても野球部が多かった関東勢。それ故、とても予選を行う時間がないとして、東京以外は予選不参加。その東京代表も、同年春に開催された東京都下大会で優勝していた早稲田実業を代表校に決定した。

 ちなみに、全国大会でも優勝最右翼と見られていた早稲田実だったが、伏兵・秋田中に準決勝で敗退。その後、早稲田実が夏の大会で全国制覇を果たしたのが2006年のこと。逃した魚は思いのほか大きく、遠くまで逃げてしまった。

山陰大会


 ライバル意識の強い鳥取県と島根県。この2年前に松江中と米子中が対戦したときには、両軍応援団が熱くなりすぎて投石事件にまで発展してしまった。

 そこでまず、鳥取、島根の両県で県予選を行い、そこで優勝した2校(鳥取:鳥取中、島根:杵築中)が全国大会の始まる3日前、8月15日に大阪で代表決定戦を開催。これに勝った鳥取中が代表校となり、負けた杵築中はわざわざ大阪にまで来て、とんぼ返りとなってしまった。

九州大会


 九州大会に参加したのは8校。わずか2日間の間に1回戦(1日目)、準決勝・決勝(2日目)を行う日程が予定されたが、初日から日没のため全日程を消化できなかった。そのため、決勝に進出することになる豊国中は2日目に1回戦・準決勝・決勝の3試合を戦わなければならないという、滅茶苦茶なスケジュールに。

 案の定というべきか可哀想にというべきか、決勝(対久留米商戦)に辿り着いても豊国中ナインはクタクタで試合にならず、決勝戦は途中棄権。こうして久留米商が九州代表校に決定した。

 今年の甲子園本大会は、8月末に甲子園球場などで「IBAF 18Uワールドカップ」が開催される影響で、例年より若干早い8月6日に開幕となる。開会式では100周年記念事業として第1回大会参加10校の当時のユニホームを復刻し、現役野球部員1名が入場行進をする予定だ。もちろん、地方大会を勝ち上がれば甲子園の土を踏めるのは1名だけではない。果たして49代表の顔ぶれはどうなるのか? 答えは1カ月後に明らかとなる。

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