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「球場へ足を運んでもらうため」 野球のベストパートナー、テレビ中継繁栄史


 今日、11月21日は「世界テレビ・デー」。1996年のこの日、国連で最初の「世界テレビフォーラム」が開催されたことを記念し、国連総会で制定された国際デーのひとつだ。

 野球の普及・発展を語る上でも、テレビとの関係性は切っても切れない。そこで「世界テレビ・デー」を記念し、ぜひ知っておきたい“野球とテレビにまつわる記念日”を振り返ってみよう。

1939年5月17日……史上初の野球中継


 NBCテレビがコロンビア大対プリンストン大戦を放送したのが、初のテレビによる野球中継とされている。野球どころかスポーツの試合における初めてのテレビ中継だった。メジャーリーグのテレビ中継はこの数カ月後のこと。


1953年8月13日……日本初の野球テレビ中継


 日本のテレビ放送(NHK)が始まったのは1953(昭和28)年2月1日。それから半年後、開通したばかりのマイクロ回線を利用して、甲子園から第35回全国高校野球選手権大会を中継した。もっとも、初めての野球中継とあってカメラが試合を追いきれず、打球を見失うことも多かったという。


1953年8月23日……日本初のナイター中継


 記念すべき最初のナイター中継はパ・リーグ公式戦「阪急対毎日」戦。巨人や阪神などの人気チームの試合はダブルヘッダーで試合開始時間が読めなかったため、当日1試合だけだったこのカードが選ばれた。

 ナイターであることを視聴者に訴えるために、最初の映像は球場ではなく、夜空に浮かぶ満月から、という粋な演出だったという。


1953年8月29日……民放初の野球中継


 民放初のテレビ局として日本テレビが開局したのが1953年8月28日。翌29日には早くも後楽園球場から巨人対阪神のナイターを生中継。都内29カ所、神奈川など周辺13カ所に街頭テレビを設置して、野球ファンを喜ばせたという。


1976年4月1日……フジテレビ系『プロ野球ニュース』放送スタート


 前身番組である『きょうのプロ野球から』(のちに『プロ野球ニュース』に改題)が始まったのは1961年4月1日。だが、12球団全試合のダイジェスト放送を行うスタイルとなったのは1976年のこと。『スポーツワイドショー プロ野球ニュース』と題して(「第2期」ともいう)伝説の番組はスタートした。初代キャスターは佐々木信也。


1979年4月1日……テレビ中継初の「スピードガン」表示を実施


 後楽園球場で行われたセ・リーグ開幕戦、巨人対阪神の中継で、日本テレビがはじめてスピードガンによる球速表示を開始。

1983年11月11日……「珍プレー好プレー大賞」スタート


 『プロ野球ニュース』の人気コーナーだった「珍プレー好プレー」が初めて、単独での特番となったのがこの日。『決定!! 第1回プロ野球珍プレー好プレー大賞』として放送され、以降、2005年までは年2回のペースで放送された。この番組のナレーションで「あれ、誰がしゃべってるんだ!?」と話題を集め、人気者となったのが、みのもんた。


1994年10月8日……日本の野球中継史上最高視聴率を記録


 日本プロ野球での歴代最高視聴率は48.8%(※関東地区)。史上初めて、同率首位で並んだチーム同士が最終戦で直接対戦する優勝決定戦「巨人対中日」、いわゆる「10.8決戦」で記録された。



2016年10月2日……ビン・スカリー最後の実況


 今年、テレビ中継繁栄史に新たに加えたいのが「史上最高の実況アナウンサー」と称されたビン・スカリーの引退日だ。10月2日、サンフランシスコ・AT&Tパークで行われたジャイアンツ対ドジャース戦を最後に、ドジャース専属アナウンサーとしての役目を終え、マイクの前から別れを告げた。

 ビン・スカリーは1950年、22歳のときにブルックリン・ドジャースの専属アナウンサーに就任。1958年にドジャースの球団移転に伴い、ビン・スカリーもまたロサンゼルスに移り住んだ。

 信条は、華美な言葉や大げさな表現を使わず、「1対1で話すような実況」であること。名アナウンサーだったレッド・ハーバーから教わったスタイルを67年間実戦してきた。

 これまでに数々の大記録・名試合を担当。1996年には野茂英雄のノーヒット・ノーランを担当し、「『不可能だ』と言う人々を覆し、ヒデオ・ノモがやってくれました!」とアナウンス。今年は前田健太のホームデビュー戦も実況した。

 その偉大な功績に対し、ロサンゼルス市議会は今春、全会一致でドジャースタジアム近くの「エリシアンパーク通り」の名称を「ビン・スカリー通り」へ変更することに合意した。こんなアナウンサーは、後にも先にも彼以外現れないだろう。

 最後のマイクに先立つこと1週間前の9月25日、今季のホーム最終戦はまさに「ビン・スカリーDAY」。選手たちは打席に立つ前、放送席に一礼し、敬意を表した。そしてドジャースはこの試合で地区優勝を達成。劇的な優勝決定サヨナラホームラン実況が自らの花道となった。

 引退に先立つ記者会見で、ビン・スカリーはこんなコメントを残している。

「一生懸命実況をしてきましたが、それは球場へ足を運んでもらうためでもあります。私は野球場で子どもたちを見るのが大好きです。本当に美しい光景です」

 これからは、孫の少年野球を見るのが楽しみだという。


文=オグマナオト

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