この年、先発の柱として躍動したのは背番号18の佐々岡真司だった。1989年ドラフト1位の佐々岡はプロ1年目は先発、抑えとフル回転し13勝17セーブと大活躍。同じくルーキーの中日・与田剛が最優秀救援投手と新人王を獲得したため新人王は逃したが、セ・リーグ会長特別賞を受賞した。
1991年は開幕から先発に固定されると17勝9敗、防御率2.44で最多勝と最優秀防御率、さらにはリーグ MVPと沢村賞を受賞。飛躍のシーズンとなった。
リーグ優勝を決めた10月13日の阪神戦(ダブルヘッダーの2試合目)にも先発。8回途中まで無失点、10奪三振と好投し勝利投手となっている。日本シリーズでも第1戦、第4戦、第7戦と3試合に先発。その後も先発、抑えと長きに渡って広島の投手陣を支えた。
優勝を決めた一戦で胴上げ投手となったのが、当時36歳のベテラン・大野豊だ。大野は前年まで北別府学、川口和久とともに強力な先発三本柱を形成。セ・リーグを代表する先発左腕として君臨していた。
1991年は1983年以来となる抑えに配置転換。前年わずか6勝に終わった大野は、再びマウンドで躍動した。終わってみれば6勝2敗26セーブで最優秀救援投手のタイトルを獲得。佐々岡とともにリーグ優勝の原動力となった。
大野は翌1992年も26セーブを挙げ、2年連続でタイトルを受賞。40歳を超えても年齢を感じさせない投球でファンを魅了した。
この年の4月6日に行われたヤクルトとの開幕戦に、「1番・センター」でスタメン出場したのが高卒2年目の前田智徳だった。プロ1年目は高卒新人ながら56試合に出場し、期待の若手と目されていた。1回裏、打席に立った前田はヤクルトの先発・内藤尚行からプロ初本塁打となる先頭打者本塁打を放った。
以降、前田は1番打者を任されレギュラーに定着。6月からは2番となり、この年は129試合に出場。打率.271、4本塁打、14盗塁の成績を残し、高卒2年目にしてゴールデングラブ賞を獲得するなど、走攻守三拍子揃った外野手として台頭する。
翌1992年には初めて打率が3割を超え、チームを代表する選手へと成長していった。