まず、現在のパ・リーグ各球団の本拠地を見てみよう。
■日本ハム
札幌ドーム(北海道札幌市)
■楽天
Koboパーク宮城(宮城県仙台市)
■西武
メットライフドーム(埼玉県所沢市)
■ロッテ
ZOZOマリンスタジアム(千葉県千葉市)
■オリックス
京セラドーム大阪(大阪府大阪市)
■ソフトバンク
福岡 ヤフオク! ドーム(福岡県福岡市)
このように、北から南までバランスよく配置されている。しかし、ここに至るまでには本拠地の移転や球団合併など様々な出来事があった。
過去には、今から思うとちょっと信じられないような紆余曲折もあったわけだが、そんなパ・リーグ本拠地の変遷を振り返ってみたい。
1949年に近鉄がパ・リーグに加盟してから、1988年に南海がダイエーに身売りするまでの40年弱は、以下のように、パ・リーグ6球団のうち3球団が大阪近郊に本拠地を置く偏った地域構成だった。
■南海(現ソフトバンク)
大阪球場(1950年 - 1988年、大阪府大阪市、現存せず)
■近鉄(オリックスと合併)
藤井寺球場(1949年 - 1996年、大阪府藤井寺市、現存せず)
※大阪球場や日本生命球場を本拠地とした時期も含む
■阪急(現オリックス)
阪急西宮球場(1937年 - 1990年、兵庫県西宮市、現存せず)
当時のパ・リーグは巨人がV9を達成する陰で低迷期と言われていたが、この偏った地域構成によるファンの奪い合いも人気停滞の原因のひとつだったのかもしれない。
もっとも現在のセ・リーグも、京浜地区(東京と横浜)に3球団あるわけだが……。
1972年、それまでのロッテの本拠地であった東京スタジアム(東京都荒川区)が閉鎖されてから、1978年に川崎球場(神奈川県川崎市、現存せず)に移るまでの間、ロッテは特定の本拠地球場を持たずにいた。
高校野球の関係で、阪神が夏の甲子園球場を使用できない時期を「死のロード」と呼ぶが、この時期のロッテは全国の球場を渡り歩く「ジプシーロッテ」と揶揄されることもあった。
この時期のロッテの主催試合は、首都圏では後楽園球場(東京都文京区)や明治神宮野球場(東京都渋谷区)、川崎球場などで開催。1974年からは宮城球場(宮城県仙台市、現:Koboパーク宮城)を中心に主催試合を行っていたが、正式な本拠移転には至らず、球団事務所や合宿所などの諸施設は東京にあるなど変則的な移転だった。
ホークスの福岡移転の成功を皮切りに、パ・リーグ他球団も新天地を求めて、以下の通り、全国各地に根を下ろした。
■1988年
南海が身売り。福岡ダイエーホークスとして福岡に移転
■1992年
ロッテが千葉ロッテマリーンズとして千葉に移転
■2004年
日本ハムが北海道日本ハムファイターズとして北海道に移転
東北楽天ゴールデンイーグルスが新規球団として宮城に発足
移転した全てのチームが、新しい本拠地で日本一を達成するなど成績や観客動員の点でも軒並み大成功。
現在はどのチームも地域密着を合言葉にファンサービスに務めている。パ・リーグが誕生してから60年以上もの長い年月を経て、ようやくひとつの完成形を迎えたといっていいだろう。
文=サトウタカシ (さとう・たかし)