今年の宜野座キャンプで金本知憲監督が他の投手とは違いを見せ、褒め称えたのが藤川球児であった。
「残念ながら球児が一番良かった」
表現方法は、他の若手投手への叱咤激励も含んだものであるが、このコメントには球児が投げる回転のいいボールに、改めて賞賛の意が込められているのがわかる。
元々、球児は入団時、ストレートを武器にする投手ではなかった。自身、線が細く故障がちで、投げては変化球を主体に打者をかわすイメージを、矢野燿大バッテリーコーチは持っていたという。
球児が変革を遂げたのは、山口高志元投手コーチとの出会いからだ。
福原忍が山口元コーチの助言で右肩の手術から完全復活したことで、山口元コーチへの絶対的な信頼感が生まれた。
山口元コーチは、故障の原因ともなっていた球児のフォームを矯正。上体を起こしたまま、上からボールをたたきつけるイメージで投げさせた。
元々球児のボールの握りがスピンの効く特殊な握りであったのに加え、ステップ幅が7足分と他の投手より少し打者よりでリリースできたのも、より速く見せることに貢献した。
また、球児が自ら述べている「前進力」は、下半身のしなりを使い、より打者よりで勢いよくリリースする力で、火の玉ストレートを生む原動力になった。
しかし、球児が自らのストレートに限界を感じるのは、2006年8月肩の故障で離脱した時期だという。
ほぼ10年前のシーズンから、球児はストレートだけでは投手として長く生きていけないことを実感していたのだ。
自らの状態を熟知している球児はキャンプ当初から、今年は先発で1年を乗り切る覚悟を決めていた。
これは、首脳陣が球児の肩ヒジの負荷を考え、毎試合スタンバイしなければならないリリーバーより、中6日でスタンバイできる先発のほうがシーズンを通して投げてもらえると判断したことでもある。
ただ、球児が球史に名を残してきたものは、火の玉ストレートを武器に、最後の1イニングを締めるという、絶対的な抑えの仕事に他ならない。
今年の阪神は「超変革」をスローガンに掲げ、チームは動き出している。
球児自身も自らを「超変革」し、先発としてシーズン最後まで投げきることが果たしてできるのか。
2軍で再調整するため向かった鳴尾浜には、4月9日の広島戦で四球を連発し、自滅した金田和之がいた。
その金田は、金本監督から「何を考えているのかわからん」と酷評されファーム落ちしていた。
かねてより球児は、若手投手たちに声をかけることを忘れない。金田にも自らの経験を踏まえ、今後につながるアドバイスをしたという。
自分自身の再調整、そして現役の先輩としてチームの投手陣をまとめていく姿勢。
火の玉ストレートを再び見ることは叶わないが、阪神にとって必要不可欠な生まれ変わった球児が、また違った手法で打者を抑え、投手のリーダーとしても優勝に貢献する姿をファンは心待ちにしている。
文=まろ麻呂
企業コンサルタントに携わった経験を活かし、子どものころから愛してやまない野球を、鋭い視点と深い洞察力で見つめる。「野球をよりわかりやすく、より面白く観るには!」をモットーに、日々書き綴っている。