『野球太郎』ライターの方々が注目選手のアマチュア時代を紹介していく形式に変わった『俺はあいつを知ってるぜっ!』
今回の担当ライターは久しぶりにキビタキビオさんが帰ってきました! 今回紹介してもらうのは、WBC日本代表にも入った、あのサウスポーです!
大隣憲司(ソフトバンク)について私が書くというのは、少々おこがましいと思っている。というのも、私は取材を通して彼と会話をしたことは一切無いし、アマチュア時代のピッチングを見たのは2年連続で出場した大学選手権と初戦敗退を喫した3年時の神宮大会のみだからだ。関西在住のライターで彼と親しい間柄だった人を挙げたら、それを自負する人の数は1人や2人では済まないだろう。
そこで、私が書くからには、あくまで関東の人間から見た当時の大隣の印象をメインに紹介していきたいと思う。
まず、大隣が最初に全国的な衝撃を与えたのは、3年時の大学選手権(2005年)。特に、初戦の札幌大戦で19奪三振の完封勝利を飾った試合はまさに独壇場だった。
神宮球場のスピードガン表示は、他の球場と比較して高い数値が出やすいと言われている。だがその一方、一般論として「左投手の球速表示は高い数字が出にくい」という法則も別途存在している。逆の理屈から、「左の球速はガン表示の5キロ増し」と考えるスカウトがいるほどだ。実際、大学選手権における左腕の球速表示は、今でも140キロ台を常時記録することはあまりなく、下手をすると120キロ台ばかりの投手もいるほどである。
ところが、このときの大隣は、初回から145〜6キロのストレートをバンバン投げ込み、当時武器にしていたタテに大きく変化するスライダーとのコンビネーションによって、相手打者をまったく寄せつけないピッチングを披露した。当然のことながら、そのインパクトは相当なものであった。
これだけの実績があれば、4年秋のドラフト会議を迎える以前から、さぞや注目の投手であったことだろう? と、当時のアマ野球事情をご存じないファンは思ったかもしれない。実際、当時の大学野球やドラフト関係の雑誌記事には、大隣が注目選手として掲載されているものが多かったのは事実だ。
だが、ダントツの注目株か? と問われると決してそうではなかったように思う。なぜなら、当時の大隣の周囲には他にも高評価された選手がゴロゴロいたからである。
まず、台頭した3年生のときには、1学年上の左腕に創価大・八木智哉(現オリックス)がいた。2005年の大学選手権で、初日から準決勝・八戸大戦(9回雨天コールド)までの3試合を一人で投げ抜いた八木は、次の日の再試合でも2回からロングリリーフして延長サヨナラ勝ち。そして、翌日の準決勝でも敗色濃厚の中、最後の望みをつなぐべくリリーフに立つという、都合5連投をやってのけたのだ。結果的にはこの準決勝でチームは敗退となったが、八木は一大会奪三振の新記録を打ち立てるなど、大隣のさらに上を行くまさに「神がかり」なインパクトを残した。
また、もう一人は同学年の青山学院大・高市俊(元ヤクルト)である。下級生の頃から東都大学リーグを代表するエースとして投げまくってきた技巧派右腕は、3年時の大学選手権決勝で大隣と直接投げ合って優勝投手になると、翌年は決勝で大阪体育大に敗れたものの準優勝。実績で大隣を上回った。
これだけでも十分すごいというのに、ホームフィールドの関西学生リーグにおいては、大学時代を通して立命館大に金刃憲人(現楽天)が毎回立ちはだかり、リーグ戦で2人が投げ合うと、ことごとく壮絶な投手戦になっていたというからたまらない。それだけ、試合で気の置けない投球を続けていれば、さすがに体に無理がくるというもの。4年の秋になって、大隣は肩を故障し、最後の神宮大会では登板することなく大学生活に終止符を打った。
おそらく、ここまでの簡単な経緯を振り返っただけでもわかったと思うが、関東の人間にとって、大隣のピッチングは3年時の大学選手権がMAXであり、それすらも八木や高市の存在によってインパクトが薄くなっていたのである。
そして、それはプロ入り後の大隣についても同様であった。成績的には、2年目の08年に11勝を記録。その後も、ソフトバンクの先発ローテーションの一角として、そこそこの成績を挙げているのだが、同じチームには杉内俊哉(現巨人)と和田毅(現オリオールズ)という、国内随一の左腕2人が別格であったため、時折いいピッチングをするくらいではなかなか目立つことは出来なかった。
さらに、プロ入り同期の高校生には田中将大(楽天)という“化物”が1年目から派手に活躍したことも不運だった。これだけ同時期の選手が活躍してしまうと、「江夏2世」とまで言われた即戦力候補の大隣になにか物足りなさを感じてしまうのも無理はない。それどころか、プロのマウンドでの大隣は、いつもなにか怯える愛玩動物のように見え、腕をすくませて投げる姿ばかりが目につくようになっていた。
だからこそ、昨年4年ぶりの2ケタとなる12勝を挙げて日本代表候補となり、11月のキューバとの強化試合で先発・好投した姿は、久々に大隣の大学時代のイメージを思い起こさせてくれた。
プロ入り当初から比べると、その体型は随分とシェイプアップされ、中指と薬指の間から抜く「バルカンチェンジ」と言われるチェンジアップを駆使するスタイルに変化したそのピッチングは、もはや「江夏豊2世」とは言えないかもしれない。しかし、その変化こそ、大隣がプロ入り後に苦労して工夫してきた道のりを示している。
そうしてつかんだ、WBCのマウンドに立つ大隣に対して、活躍を期待しないわけにはいかない。強化試合と同様に強敵・キューバの打線をキリキリ舞いさせ、今度こそ多くの日本のファンにその存在を霞むことなく(!)示すことを大いに期待している。
■プロフィール
キビタキビオ/野球のプレーをストップウオッチで測る記事『炎のストップウオッチャー』を野球雑誌にて連載をしつつ編集担当としても活躍。2012年4月からはフリーランスに。現在は『野球太郎』を軸足に、多彩な分野で活躍中。Twitterアカウント@kibitakibio