【この記事の読みどころ】
・清田は走攻守三拍子そろったアスリート系外野手だ
・社会人2年目にボールの見極めがよくなり、飛躍を遂げた
・今季、好成績を残したが、こんな数字で終わる選手じゃない!
清田育宏は、千葉の市立柏高校時代から好投手として知られた存在であった。しかし、東洋大学進学後はイップスなどで伸び悩み、野手に転向。大学4年春には、3本塁打・14打点でベストナインを獲得。さらに秋のシーズンには8盗塁を記録し、走れる選手であることも証明。投手を経験していただけに、その強肩ぶりも目を惹き、それでいて天性の長打力も持ち合わせる好選手だった。
そんな三拍子揃ったアスリート系選手が、大学時にドラフト指名されなかったのはなぜか? 社会人チームへの入団が決まっていたのかもしれないが、大学での実績は4年生のみだったことからくる経験の浅さ、そして何より対応力に課題があり、脆い部分があった点が挙げられる。
今となれば、当時の彼が社会人に進むことを選択したことは、結果としてプラスに働いたことは明白である。
清田のポテンシャルの高さが、数字に表れてきたのは東洋大4年時。しかし打率だけは、春は.259、秋は.276と、もう1つ上がってこなかった。
社会人(NTT東日本)入社後の1年目には、補強選手として都市対抗出場。ところが、返球の際に足首を痛めた影響で途中退場となり、以後試合に出ることなく終わってしまう。秋の日本選手権には所属するNTT東日本で出場を果たしたものの、DHでの出場で、三拍子揃った活躍を示せないまま1回戦で敗退。非凡な才能を持っていることは誰もがわかっていただけに、消化不良の時期が続いた。
その鬱憤をすべて吐き出したのが、入社2年目の春のスポニチ大会だ。
何より清田が変わったのは、ボールの見極めが抜群に良くなったこと。甘い球を逃さず、“好球必打”に磨きがかかった。技術的には踏み込んだ足が開くことなく、体が突っ込まなくなり、腰が早く開いてしまうスイングを抑えられるようになった。
そのことにより、“打てない球を打てるようになった”という以上に、“打てる球しか打たなくなった”という見極めが、試合の中でできるようになったのだ。
そして清田は、強引に引っ張ってスタンドインする長打だけでなく、右方向への打撃も見られるように変化した。バッティングに幅が出てきたことで、私はプロでの活躍を確信できた。これならば、打率はそれほど期待できなくても、試合を左右するような局面で、効果的なバッティングができる、と。
破壊力だけでなく、状況に応じた打撃ができるようになったこの大会での活躍こそ、清田がプロでやれると私が強く実感した瞬間である。
プロ入団6年目にして、ようやくアマチュア時代に抱いていた期待値に追いついてきた清田育宏。しかし、彼の持っている能力からすれば、本塁打数だって、今季初めて2ケタ盗塁を記録した盗塁数だって、こんなものではないはず。
清田を高く評価したのは、長打力を売りにしながらも、元投手だった経験を生かした強肩と、さらに走れるという三拍子揃った活躍を期待したからだ。少なくても20本塁打・20盗塁という数字は、潜在能力からすれば可能なはず。まだ29歳という年齢を考えれば、その数字への到達は時間の問題だと信じたい。
清田がドラフト指名された2009年のドラフト会議では、長野久義(巨人)が野手では目玉的存在であった。清田と長野は同じ社会人で、右打ちの外野手と共通点が多い選手同士。
いろいろな部分で彼らを比較・評価してきた当時の私のレポートを読み直してみると、「アマチュア時点での完成度、即戦力としての期待値は長野の方が上だろう。しかし、将来的な部分では清田の方が魅力を感じる」と書き記してある。当時の清田は、爆発力こそ素晴らしかったのものの、年間を通しての安定感を身につけられるかどうかが、最大の課題であった。