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新井貴浩が「25」を背負う意味とは? ファンに愛される選手たちが創りあげるカープ背番号の系譜

 広島といえばカープ。カープといえば広島。それぐらい、広島東洋カープと広島の街には密接な関係がある。

 また、「カープ女子」と呼ばれる女性ファンの増加も顕著で、今やビジター動員数は12球団トップクラス。あとはチームが優勝すれば…という状況だ。当然、背番号にも各々で思い入れがあることだろう。今回はそんな広島の背番号物語を紹介したい。


「25」新井貴浩が再びこの番号を背負う意味


「赤い心見せ 広島を燃やせ 空を打ち抜く 大アーチ」

 まさか、新井貴浩が広島に戻ってくるとは思わなかった。上記の応援歌も復活するとは思わなかった。そして、復帰2年目の今季からは再び背番号「25」を身に着けるなんて…。


 新井は1999年の入団から「25」を背負い、地元・広島出身の大砲として期待を一身に浴びてきた。2005年にはリーグ本塁打王を獲得。日本代表にも度々入るなど、「カープの誇り」といって差し支えない存在だった。

 それが一変したのが、2007年オフのFA宣言。『辛いです…カープが好きだから』という言葉を残し、宣言残留を認めない球団と決別。新井は阪神へ新天地を求めた。

 この移籍劇に、カープファンは黙っていられなかった。翌年の阪神との本拠地初戦は物々しい雰囲気に包まれ、新井が打席に立つたびに大ブーイング。レプリカユニフォームに書かれた「ARAI」の文字を消し、この年加入のスコット・シーボルの名を上書きする強者も出てきた。まさに“可愛さ余って憎さ百倍”である。

 そのまま阪神で現役を終えると思われた新井だが、2014年オフに自由契約を申し入れ退団。故郷に8年ぶりの帰還を果たした。復帰1年目は空き番号から「28」を背負うことになり、全試合の半数以上を4番スタメンで出場。オールスターゲームではファン投票で選出され、マツダスタジアムでの第2戦では敢闘賞に輝いた。

 満を持して、今季からは代名詞の背番号「25」に再び袖を通す。本人も愛着を覚えており、恐らく引退の瞬間までこの番号は新井のものであり続けるだろう。あと29本に迫った通算2000安打はもちろん、「25」年ぶりのリーグ制覇も「25」番とともに成し遂げたい。


「2」田中広輔が受け継ぐ名内野手の系譜


 ルーキーイヤーから、即戦力の前評判に違わぬプレーを見せてきた田中広輔。3年目の今季、背番号を「63」から「2」に変更する。この「2」番というナンバーは、広島にとって名内野手の系譜を紡ぐ大切なものだ。


 1978年から11年間背負ったのが高橋慶彦(現・オリックス1軍打撃コーチ)。猛練習で1番・ショートの座を掴み取ったスイッチヒッターで、チームの黄金期をけん引。79年にマークした33試合連続安打は未だ破られておらず、日本記録を40年近く保持し続けている。

 また、盗塁王3度の快足も大きな魅力で、その姿に熱狂したファンは数知れず。今でも「カープの2番といえばヨシヒコ」と思う人は多いのではないか。

 田中の前に「2」を着けていたのは東出輝裕。2000年から昨年までの16年間、チームの暗黒期を支えた内野手だ。こちらは高卒1年目から1軍で78試合出場を果たした天才型で、特に二塁手としての守備範囲の広さは群を抜く。今でこそ菊池涼介のプレーに驚かされるが、当時の東出にも十分見応えがあった。

 2013年に負った左ひざ前十字靭帯断裂の影響もあり、昨季限りで現役を引退。今季からは1軍打撃コーチを務める。

 田中も偉大な先人に続くだけの実力を持つ。1年目は打率.292、9本塁打の成績を残し、2年目の昨季はリーグトップの9三塁打をマーク。守備面に目を向けると、一時は補殺記録の日本新を狙えるほどのクオリティーを見せ、菊池と共に12球団屈指の二遊間を形成している。

 果たして、田中は「2」を自分の番号に仕立て上げられるだろうか。


文=加賀一輝(かが・いっき)

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