多村といえば横浜・DeNA、ソフトバンクで、長きにわたり第一線を張ってきた右打ちの外野手。2004年にキャリアハイの40本塁打を放ち、2006年のWBCでは、正左翼手として日本の初代チャンピオンに大きく貢献。いわゆる「5ツールプレーヤー」のひとりで、走攻守で魅了してきた。
今回の加入に関しては、落合博満GMの存在が大きいと言われている。入団会見で本人も「落合GMは僕の恩人」と発言。戦力外を受けて数カ月間、多村に連絡をした唯一のチームが中日であり、面談の窓口になったのは落合GMだった。
2人の縁は2001年の秋にさかのぼる。当時横浜の若手だった多村は、キャンプで臨時コーチに来ていた落合GMと対面。その指導に耳を傾けると次第に打撃フォームが安定し、のちの才能開花につながっていく。ソフトバンク時代の2011年日本シリーズでは一発を見舞うなど、当時中日の監督だった落合GMの目の前で強烈な恩返しを果たした。
では、なぜこれだけの実績を誇る多村が育成契約となったのか。理由として考えられるのは3つ。1つ目はチームの予算の関係、2つ目は支配下登録枠に限りがあるため、そして3つ目は多村について回る「ケガに強くない」体質だ。
・チーム予算について
ここ数年の中日において、「コストカット」は避けて通れないワードのひとつ。チームの予算を預かる落合GM主導のもと、ウン億円単位で総年俸が抑えられることが度々話題に挙がる。「同じ右の外野手なら和田一浩を残せば良かったのでは?」という声も聞くが、さすがに数百万でプレーさせることはできないだろう。
・支配下登録枠の限りについて
1月15日現在、中日の支配下登録選手は67名。規定で70名までと限りがあるため、残りは3枠だ。シーズン開幕後の緊急補強に備え1枠を残すと仮定すれば、2ケタの背番号を得られるのは1人か2人。ドラフトで大量6名の育成選手を指名したこともあり、このタイミングで多村を最初から支配下に置くのはチーム全体の士気に関わるかもしれない。
・ケガに強くない体質について
「スペランカー」という有り難くない称号をはじめ、ケガに強くないイメージが多村にはどうしてもつきまとう。プレー中だけでなくプライベートでの発症も多くみられ、フルシーズン戦い抜いた年は数えるほどだ。ここ数年は大きなケガに見舞われることはなかったものの、リスク回避に念を入れた可能性は否定できない。
昨季は若手が積極起用される陰で、ファームで静かに刃を研ぎ続けた。打率は3割を大きく超え(.319)、7本塁打をマーク。広角に長打を飛ばす打撃は健在で、シーズン最後の一発も右中間への当たりだった。機会さえ与えれば、一軍でもまだまだ活躍できるはずだ。
かつて育成契約から日本シリーズMVPに登りつめた中村紀洋(元近鉄ほか)のように、多村にも華麗なる復活を望みたい。
文=加賀一輝(かが・いっき)