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ベーブ・ルースとセンバツには接点があった!〜黎明期のセンバツ「深いい話」

 「春はセンバツから」ともいわれる日本の風物詩、選抜高等学校野球大会が3月21日から阪神甲子園球場で開催されます。

 昨秋の神宮大会で優勝を果たした沖縄尚学高やプロ注目の好投手・田嶋大樹を擁する佐野日大高はどんな戦いをみせるのか。ほかにも昨夏の甲子園に出場した選手が多く残る横浜高、好選手が多い日本文理高にも注目が集まっています。さらには都立高校として初めてセンバツに出場する21世紀枠の都小山台の躍進はあるのか……など、見どころ満載。ソチ五輪にも決してヒケをとらない感動ドラマに出会えることができるでしょう。

 そこで今週から始まるこのコーナー。“センバツ”の歴史を紐解き、過去の名試合や印象に残る出場校を振り返りながら、味わい深いエピソードの数々を紹介していきます。

 第1回目はそもそもセンバツはどのように始まったのか? からスタートする「黎明期」のお話です。


[1924(大正13)年:第1回大会]
◎夏の大会とは異なる趣向で最強チームを決めよう!


 今年で第86回を迎える“センバツ”。さかのぼること90年前の1924(大正13)年に選抜中等学校野球大会としてスタートしたのが最初。当時の中等野球の全国大会は、夏の選手権だけだったが、日本中の野球熱が高まるにつれて、「もうひとつ全国的な権威のある大会を開こう」という声が、全国各地からわき起こった。

 そこで、夏の大会が各地の予選から代表チームを集めて優勝を争うのに対して、春の大会では日本中から成績優秀な強豪チームだけを選抜して、最強チームを決めよう! ということになった。

 その出場チームを選ぶために、当時の球界のOBたちで構成する選考委員会を設けた。第1回大会では評判の高い近畿、四国、東京勢に東海地区を加えた4ブロックで、リーグ戦を行い、実績を残した8校を選んだ。そして翌年からは大学、実業団クラブなどの有名OB選手を選考委員に迎え、さらに次の年からは新聞社が全国各地からの情報をもとに1年間の戦績表を作り、各地のOBたちの意見をふまえて、さらに詳細なデータを作成。それをもとに出場校を決めたという。

[1931(昭和6)年:第8回大会]
◎日本で初めて背番号を採用したのは、なんとセンバツだった!


 この年のセンバツは、画期的な大会となった。出場チームが過去最高の19校に増え、今では幻となっている“大会歌”が作られた。以下に歌詞を記すが、なんとも春らしい詩である。

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 蒼空高き甲子園
 桜に香る風裂きて
 熱球砂を噛むところ
 みよや光栄(さかえ)の陽は踊る…
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 この大会歌と、出場19校の校歌がレコードに吹き込まれ、試合の合間に甲子園球場に流れたそうだ。

 そして、背番号が初めて採用されたのがこの大会。「広い甲子園球場では、誰がどの選手か、見当もつかない」というファンの声が反映されたのか、いずれにせよ今でこそ当たり前の背番号の生みの親は“センバツだった”ということは、あまり知られていない。

 しかし、理由は定かではないが、好評だった背番号はどういうわけか4〜5年で廃止されてしまった。それ以降、背番号が採用されたのは戦後の夏の大会で、1952(昭和27)年のこと。センバツでは、翌1953(昭和28)年(第35回大会)のことだった。

[1932(昭和7)年:第9回大会]
◎あのベーブ・ルースとセンバツの意外な関係とは?


 背番号の話も意外だが、センバツ大会と、あのベーブ・ルースに関係があったという事実は、あまり知られていない。

 昭和初期、当時の文部省から発令された「野球統制令」の影響で、学生野球は萎縮した雰囲気になっていたそうだ。それまでセンバツの優勝校はアメリカ旅行をプレゼントされていたが、それも中止。これを払拭する意味で、主催の毎日新聞は、第9回大会から最も本塁打を打った選手に“ベーブ・ルース賞”が贈ることにした。

 ルースはアメリカのキャンプ地で、この企画に関してコメント。「センバツ大会は日本で大人気。連日、数万人の観客が集まると聞いている。若い球児たちに賞を贈ることで、日本の野球が発展するなら最大の喜びだ」。ルースはなにかと、日本の野球界を気に掛けていたようだ。

 その2年後、1934年の秋頃に日米野球で来日したルース。実は長い船旅を理由に、日本遠征をためらっていた。しかし、当時の日米野球開催に奔走していた交渉役の鈴木惣太郎氏が、アポなしでアメリカまで出向いてルースのもとへ電撃訪問。その時、日本で作られたルースの似顔絵が描かれた日米野球のポスターを見せて「日本のファンは、あなたを待っています」と説得。そのポスターを見てルースは日本行きを快諾したというエピソードがあった。

 ちなみに初のベーブ・ルース賞を獲得したのは、平安中のエースだった本田親喜選手。大会1日目の中京商戦で大会初本塁打を放つなどして本塁打王に輝き、賞を獲得したそうだ。


 まだまだ知られざる「深いい」話が満載のセンバツ大会。次週は今大会にも出場する池田高校にまつわるエピソードを紹介しよう。

(参考文献/不滅の高校野球:松尾俊治著)


■ライター・プロフィール
鈴木雷人(すずき・らいと)/会社勤めの傍ら、大好きな野球を中心とした雑食系物書きとして活動中。“ファン目線を大切に”をモットーに、プロアマ問わず野球を追いかけている。Twitterは@suzukiwrite

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