2015年のドラフトで東京六大学リーグからプロ入りを果たした高山俊(明治大→阪神1位)、重信慎之介(早稲田大→巨人2位)、横尾俊建(慶應義塾大→日本ハム6位)。同じリーグでしのぎを削った彼らは、高校時代にも西東京を舞台に雌雄を決していた。
2011年夏の西東京大会決勝は、中軸に高山と横尾擁する日大三高と重信がリードオフマンを担う早稲田実が激突。西東京における「宿命の対決」でもある両校の対戦は、決勝にふさわしい締まった投手戦となった。
日大三高は4番・横尾、5番・高山を中軸に据えた強力打線ウリだったが、早稲田実の投手陣に封じ込められ大量得点を奪えない。しかし、日大三高のエース・吉永健太朗(JR東日本)も力投。結果、両チームとも5安打に終わり、日大三高が2対1で勝利。ただ、高山、横尾、重信はいずれも結果を残すことができなかった。
なお、この年、日大三高は2001年以来の甲子園優勝を果たしている。
数々の名勝負を残してきた日大三高と早稲田実のライバル対決。今夏は両チームが勝ち上がれば順調にいけば、再び決勝で顔を合わせることになる。未来のプロ野球選手が今夏も火花を散らすことになるかもしれない。
1980年代前半から1990年代半ばにかけて西武の黄金時代を支えた秋山幸二(元ソフトバンク監督)と伊東勤(現ロッテ監督)。ふたりは1962年生まれの同い年。高校3年夏には、伊東が熊本工高、秋山が八代高の主力として熊本大会で相まみえていた。
ふたりにとって最後の夏となった1980年の熊本大会。決勝戦で熊本工高と八代高が対戦。八代高のエースで4番の秋山から伊東が本塁打を放つなど、ふたりの直接対決でも見せ場のあったこの試合は、熊本工高が6対4で勝利。伊東は甲子園出場を決めた。
その後、秋山は大学進学を表明していたがドラフト終了後にプロ入りを希望。1980年にドラフト外で西武へ入団。
一方、伊東は熊本工の定時制(4年制)に通っていた事情もあり、所沢高の定時制に転校。西武球団職員としても働きながら、秋山から1年遅れとなる1981年のドラフト1位で入団を果たす。
高校時代のライバル同士が西武の黄金時代を築き、引退後は監督としてもペナントレースを争った。そんな人間ドラマがあるのも野球ならではだろう。
高校野球屈指の激戦区・千葉。1974年、1975年は小川淳司(元ヤクルトほか、現ヤクルトSD)がエースの習志野高と、篠塚利夫(現和典、元巨人)を擁する銚子商高が覇権を争っていた。
1974年夏の千葉大会の4回戦で両校は激突。小川は銚子商高のエース・土屋正勝(元中日ほか)に投げ負け、0対2で敗戦。銚子商高はそのまま千葉を制し、甲子園でも快進撃を果たす。そして、同校初の甲子園優勝を勝ち取った。
翌1975年夏、千葉大会の準決勝で再び両校は対戦。今度は小川が自ら2ラン本塁打を放つなどの活躍を見せ、習志野高が2対1で勝利。雪辱を果たし、甲子園出場を決めた。
習志野高は前年の銚子商高に続き甲子園で優勝。千葉勢が2年連続で夏の甲子園の頂点に立った。以来、春夏ともに千葉県勢の優勝はない。今年の夏は42年ぶりの甲子園優勝といきたいところだ。
2010年夏の大阪大会。プロ注目の遊撃手として注目を浴びていたのはPL学園高の吉川大幾(現巨人)だった。走攻守三拍子揃った吉川は、多くの雑誌にも取り上げられていた。
その吉川が主将として率いるPL学園高を4回戦で破ったのが、山田哲人(現ヤクルト)がいた履正社高だった。
点の取り合いとなったこの一戦は、終盤に適時打を放った山田の活躍もあり、履正社高が延長戦で勝利。この日の山田は40度近い熱を押しての志願の出場だったが、見事に結果を残した。PL学園高戦を制した履正社高は、大阪大会を制し甲子園出場を決めた。
吉川、山田ともに2010年のドラフトでプロ入りを果たしたが、プロでの実績は山田が大きく上回っている。1992年生まれとまだ若い両選手が再びライバル関係となれるよう、吉川の頑張りに期待したい。
文=勝田聡(かつたさとし)