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○第4回○東の横綱 帝京高校野球部(3)

書籍『野球部あるある』(白夜書房)で「野球部本」の地平を切り拓いた菊地選手とクロマツテツロウが、「ありえない野球部」について迫る「野球部ないない」。
 最初に取り上げるのは「東の横綱」と称される帝京高校野球部。普通の野球部では「ないない」と言われるであろう「帝京野球部あるある」を描き出すため、帝京野球部OBで現在は芸人として活躍する杉浦双亮さん(360°モンキーズ)に会いに行ってきた。今回は「前田三夫監督の恐怖」について。

なぜ前田三夫監督が怖いのか


「僕ね、『マエダ』って単語、ほとんど使ったことないんですよ。もう『マエダ』って口に出しただけで、怖くて憂鬱な気分になりますからね」
 帝京野球部・前田三夫監督について語る杉浦さんは、伏し目がちにテーブルへと視線を泳がせた。その表情が、「これは冗談じゃありませんよ」と言っていた。
「高校時代だって、監督本人を呼ぶときは『監督さん』と言っていましたし、選手の間では『キャンツー』って呼んでましたからね」
 キャンツー?
「監督が『キャンツー』で、コーチが『ガックン』でした」
 いや、問いたいことはいろいろとありますが、まず「キャンツー」から説明してもらえますか?
「僕もはっきりとしたことはわからないんですが、監督自身、帝京高校の2代目監督らしいんですよね。『監督』の『2(ツー)』で、『キャンツー』になったと聞いています。僕が入ったときから先輩は『キャンツー』と言っていましたし、たぶん今の部員も使っているはずですよ」
 なんと、名将・前田監督を指す隠語「キャンツー」は、今も受け継がれているという。ちなみに「ガックン」は、上半身ばかり鍛えているコーチの「下半身がガクガクしている」ということで「ガックン」なのだという。このネーミングの稚拙さが、いかにも野球部らしくていい。
 それはそうと、どうしてそこまで前田監督は恐れられていたのだろうか。僕自身、これが一番聞きたいことだった。
「まず顔ですよね…。あの目つき。『にらまれたら死ぬ』と思ってましたから。僕の中では人間というより、妖怪というか…」
 言いづらいかもしれないが、選手に手をあげるようなこともあったのか聞いてみると、杉浦さんは首を横に振った。
「いや、そういうのはそんなにないんですけどね。僕が一番痛そうだなと思ったのは、ノック中にうまく捕れない選手がいて、その選手のグラブを外させたときです。素手なのに、近い距離で思いっきり打つ。選手は逃げるわけにもいかず、体で止めにいくしかない。あれは痛そうだったなぁ」
 ちなみに、前田監督のノック技術は杉浦さん曰く、「関東ナンバーワンだと思っていた」というほど高かった。
「ベースとかボールとか、目標物があれば何でもノックで当ててしまうんです。外野のポールまで狙って当てましたからね。だから、監督のノックでは力を抜くことができない。その選手のギリギリ捕れるところを、いやらし〜く狙って打つから、追いつけなかったら抜いたことがバレるんです」

「“タテジマ”を脱げ」


 実は杉浦さんは一時期、帝京のエース格になりかけたことがあったという。
 92年センバツ優勝の大エース・三澤興一(元・巨人ほか)が引退し、新チームが発足したばかりの時期。ボールにスピードがあった杉浦さんは、秋の大会前の練習試合で先発投手に指名される。
「相手は神奈川の藤嶺藤沢だったかな。当時、球だけは速くて140キロくらい出ていたんですけど、とにかくコントロールが悪くて…。フォアボールで満塁にしてしまって、しかもカウント3ボール。ベンチを見たら、監督がこの世のものとは思えない顔をしている。『これはまずいな』と置きにいったボールを満塁ホームランにされたんです」
 微笑を浮かべながら、杉浦さんは淡々と、こう続けた。
「そっから、僕は、終わりです」
 その一言に、いろいろな思いが滲んでいることに気づいたのは、それからの話を聞いてからだった。
 満塁本塁打を浴びた杉浦さんは、当然のように交代させられた。ベンチに戻ると、前田監督からユニフォームを脱ぐよう指示された。
「『お前に“タテジマ”を着る資格はない』という意味ですよね。“タテジマ”っていうのは、帝京のユニフォームって縦縞でしょう。あのユニフォームは実はレンタルで、甲子園で優勝した代しか記念にもらうことが許されないんです。つまり帝京の“タテジマ”は、それだけ神聖なものとして見られていたということです」
 降板後、杉浦さんはベンチに入ることすら許されず、縦縞の帝京のユニフォームを脱いだまま正座していたという。
「藤嶺藤沢の選手は『なんだコイツ?』って思ったでしょうね。監督、よく1学年の代ごと干したりするんですけど、このときは一足先に、僕個人が干されましたね」
 脳裏に2年生が2人しか来なかった、僕の高校時代の招待試合の光景が浮かんだ(第一回参照)
 代ごと干す…。
 確かに自分が見た以外にも、帝京にはそうした事例があるとは聞いたことがあった。
−−ひょっとして、この練習試合が、杉浦さんにとって高校最後のマウンドだったのですか?
 そう聞くと、杉浦さんは目を大きく見開いて一瞬黙った後、その表情を変えずに「え〜! えぇ〜!」と言った。
 僕は呆気に取られて、その表情を見つめていた。僕は知らなかったのだ。杉浦さんにとっては最も思い出したくない、本当の「地獄」がここにあったことを。
(次週につづく)

■杉浦双亮(すぎうら・そうすけ)
1976年2月8日生まれ、東京都八丈島出身。小学5年で埼玉県大宮市(現さいたま市)に転居し、帝京高校では野球部に入部。チームは入学した1年春から4季連続で甲子園に出場するが、自身のベンチ入りはなし。高校時代の同期生・山内崇さんとお笑いコンビ「360°モンキーズ」を結成し、コアな外国人選手のモノマネでブレークした。DVD『マニア向け』が好評発売中。

今回の【帝京野球部あるある】
恨めしいほど巧い前田監督のノック。


文=菊地選手(きくちせんしゅ)/1982年生まれ。編集者。2012年8月まで白夜書房に在籍し、『中学野球小僧』で強豪中学野球チームに一日体験入部したり、3イニング真剣勝負する企画を連載。書籍『野球部あるある』(白夜書房)の著者。現在はナックルボールスタジアム所属。twitterアカウント @kikuchiplayer

漫画=クロマツテツロウ/1979年生まれ。漫画家。高校時代は野球部に所属。『野球部あるある』では1,2ともに一コマ漫画を担当し、野球部員の生態を描き切った。雑誌での連載をまとめた単行本『デンキマンの野球部バイブル』(白夜書房)が好評発売中。twitterアカウント @kuromatie

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