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《名監督列伝》鍛治舎巧(秀岳館)に馬淵史郎(明徳義塾)。あまりに人間くさい男たち…

《名監督列伝》鍛治舎鍛治舎巧(秀岳館)に馬淵史郎(明徳義塾)。あまりに人間くさい男たち…

 高校野球監督とは甲子園に人生を捧げ、数奇な運命を生きる男たち。己のチームを作り上げ、地元のライバル校としのぎを削り、聖地を目指して戦い続ける。

 週刊野球太郎の7月連載では『高校野球 ザ・名監督列伝』と題して、4週に渡り16人の監督を紹介。いずれも今夏の甲子園でもひと暴れしてくれそうな名将ばかりなので、地方大会から戦いぶりをチェックしてほしい。

 第4回は秀岳館の鍛治舎巧監督と明徳義塾の馬淵史郎監督が登場!

(以下、文中一部敬称略)


■鍛治舎巧(秀岳館)


 鍛治舎巧が2014年に秀岳館の監督に就任する以前、同校は2001年の夏の甲子園、2003年のセンバツと2度、甲子園に出場していた。2001年には強豪・常総学院を初戦で破る金星を挙げたこともあったが、トータルで見ると甲子園での実績は今ひとつ、という高校だった。

 しかし、鍛治舎が就任して3年目を迎えた昨年のセンバツを皮切りに、昨年の夏の甲子園、今年のセンバツと3季連続で甲子園ベスト4。「目標は甲子園優勝」と公言する鍛治舎に率いられた秀岳館は、全国屈指の強豪へと変貌した。

 この躍進は、舵取りを任された鍛治舎を抜きに語ることはできない。

 県岐阜商時代、鍛治舎はエースで4番としてセンバツに出場。その後も早稲田大、松下電器(現パナソニック)の中心選手として活躍。松下電器時代の1975年には阪神からドラフト指名されるほどの選手だった(阪神入団は拒否)。

 現役引退後はアマチュア日本代表のコーチを務めたほか、NHKの甲子園中継の人気解説者としても活躍。ボーイズリーグの「オール枚方ボーイズ」の監督としてチームを日本一に導くなど、選手としても指導者としても、アマチュア野球界のエリート街道を歩んできた。

鍛治舎語録


 日の当たるところで実績を残してきただけに、鍛治舎は自負心が強く、相当な負けず嫌いだ。甲子園でもなかなかに辛口なコメントを残している。

 昨夏の準決勝。作新学院が決勝進出を決めたあとに行われた試合で、秀岳館は北海に3対4敗れたのだが、敗戦後には悔しさを隠すことなく、こんな一言を述べた。

「この夏の敵は作新学院だと選手にずっと言っていて、『やっと当たれる』と心のなかで思っていました」

 眼中にあるのは全国制覇。最大の敵は作新学院。まさか北海に敗れるとは思っていなかったのだろうが、それにしても正直すぎるコメントだった。

 また、今年のセンバツの準決勝で大阪桐蔭に1対2で敗れた後のコメントは……。

「大阪桐蔭を褒めちぎらないといけませんか? いいチームですが、感心していたら勝てません」

 「21世紀最強チーム」にあと一歩のところで惜敗した直後、しかも3季続けて準決勝で涙を飲んだだけに、「近年の大阪桐蔭は力が突出していますが?」と質問され、カチンときたと思われる。これまた、あまりにも正直過ぎる回答である。

懐に入ったものだけがわかる優しさ


 万事、歯に絹を着せず、勝利に執着する姿勢を崩さないので、鍛治舎は誤解され、外野からとやかく言われることも多い。

 しかし、チームへの愛情はひとしお。今年のチームの4番・廣部就平(3年)が不調に陥ったときには「4番のチームバッティングは本塁打だぞ」と、言葉でもバックアップ。選手たちからは慕われている。

 それは、今年の初頭に学校側が監督交代をほのめかすニュースが流れた際も、保護者たちが嘆願書を学校に送って事態をせき止めた、という出来事があったことからもうかがえる。

 身近な者にしかわからない“懐の深い何か”を持っているのだ。

 一部の報道では、鍛治舎の契約期間は2019年春までとも言われている。これが事実なら「甲子園優勝」へのチャンスは、あと4回。有言実行で全国の頂点に立てるか。


■馬淵史郎(明徳義塾)


 1990年に明徳義塾の監督に就任し、甲子園に出場すること30回(春:12回、夏:18回)。

 甲子園勝利数ランキングでも歴代5位の48勝(29敗)を挙げ、「高知代表=明徳義塾」という図式を作り上げたのが馬淵史郎だ。

 毎年のように守備をベースにした好チームを育てて聖地に乗り込み、名将の存在感を発揮。選手の調子や確率論を踏まえながら、試合の流れを読み切った采配は名人の域に達している。


夏がくれば思い出す「5打席連続敬遠」


 甲子園で様々な勝負を演じてきた馬淵だが、なんといっても思い出されるのは社会現象にまでなった1992年の「松井秀喜5打席敬遠」。

 優勝候補の星稜を倒すために、主砲の松井秀喜(元ヤンキースほか)との勝負を徹底回避。5打席目の敬遠のときには、グラウンドにものが投げ込まれ、観客の怒号に包まれる異様なムードとなった。

 結果は明徳義塾の勝利。「勝つためには手段を選ばぬ」という徹底ぶりだったため、その試合以降、「非情」「勝負の鬼」というヒールのイメージが馬淵にはつきまとう。

 しかし、トレードマークのダミ声で、人情の機微を豊かに伝える「馬淵節」はよく知られており、ケレン味のない笑い声も人間味たっぷり。つまりは人情派、でもあるのだ。

 2002年夏に甲子園初優勝を果たしたときの男泣きは名シーンといっていい。

 また、狙いすました作戦が失敗したときにベンチで見せる、「あぁ…」という人間味あふれる表情も、ヒールとはかけ離れた印象を与える。明徳義塾の試合では、ベンチ内の馬淵監督の表情も味わってほしい。

 ちなみに、明徳義塾ファンのちびっ子に「誰でもいいのでサインをください」と言われ、「おっちゃんのでええか?」と笑わせるなどジョークもうまい。


馬淵監督の神ってる記録


 約30年に渡って指揮を執っている馬淵。通算48勝も素晴らしいが、自身の甲子園デビューとなった1991年の夏から2010年の夏にかけての「20大会連続勝利」という大記録も打ち立てている。

 2011年のセンバツで日大三に5対6で敗れたことで途絶えてしまったが、今後、この記録を塗り替える監督は現れないのでは、という偉業だ。

 先日、将棋の藤井聡太四段がデビューからの29連勝を達成して話題を呼んだが、団体競技の野球での記録だけに、まさに「神ってる」としか言いようがない。

 ネガティブな部分が取り沙汰されてしまうことも多いが、人情味にも功績にも目を向けたい大監督だ。


豊富な人生経験も野球の武器に


 作新学院の小針崇宏監督や横浜の平田徹監督など、30代の監督が脚光を浴びはじめている高校野球界。

 選手の気質も変わっているので、監督の世代交代が必要かと思うが、還暦を過ぎた監督の頑張る姿もまだまだ見ていたいと思う。

 66歳の鍛治舎監督、62歳の馬淵監督。ベテランにしかない味で、この夏も沸かせてほしい。


文=森田真悟(もりた・しんご)

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