日の当たるところで実績を残してきただけに、鍛治舎は自負心が強く、相当な負けず嫌いだ。甲子園でもなかなかに辛口なコメントを残している。
昨夏の準決勝。作新学院が決勝進出を決めたあとに行われた試合で、秀岳館は北海に3対4敗れたのだが、敗戦後には悔しさを隠すことなく、こんな一言を述べた。
「この夏の敵は作新学院だと選手にずっと言っていて、『やっと当たれる』と心のなかで思っていました」
眼中にあるのは全国制覇。最大の敵は作新学院。まさか北海に敗れるとは思っていなかったのだろうが、それにしても正直すぎるコメントだった。
また、今年のセンバツの準決勝で大阪桐蔭に1対2で敗れた後のコメントは……。
「大阪桐蔭を褒めちぎらないといけませんか? いいチームですが、感心していたら勝てません」
「21世紀最強チーム」にあと一歩のところで惜敗した直後、しかも3季続けて準決勝で涙を飲んだだけに、「近年の大阪桐蔭は力が突出していますが?」と質問され、カチンときたと思われる。これまた、あまりにも正直過ぎる回答である。
万事、歯に絹を着せず、勝利に執着する姿勢を崩さないので、鍛治舎は誤解され、外野からとやかく言われることも多い。
しかし、チームへの愛情はひとしお。今年のチームの4番・廣部就平(3年)が不調に陥ったときには「4番のチームバッティングは本塁打だぞ」と、言葉でもバックアップ。選手たちからは慕われている。
それは、今年の初頭に学校側が監督交代をほのめかすニュースが流れた際も、保護者たちが嘆願書を学校に送って事態をせき止めた、という出来事があったことからもうかがえる。
身近な者にしかわからない“懐の深い何か”を持っているのだ。
一部の報道では、鍛治舎の契約期間は2019年春までとも言われている。これが事実なら「甲子園優勝」へのチャンスは、あと4回。有言実行で全国の頂点に立てるか。
■馬淵史郎(明徳義塾)
1990年に明徳義塾の監督に就任し、甲子園に出場すること30回(春:12回、夏:18回)。
甲子園勝利数ランキングでも歴代5位の48勝(29敗)を挙げ、「高知代表=明徳義塾」という図式を作り上げたのが馬淵史郎だ。
毎年のように守備をベースにした好チームを育てて聖地に乗り込み、名将の存在感を発揮。選手の調子や確率論を踏まえながら、試合の流れを読み切った采配は名人の域に達している。
甲子園で様々な勝負を演じてきた馬淵だが、なんといっても思い出されるのは社会現象にまでなった1992年の「松井秀喜5打席敬遠」。
優勝候補の星稜を倒すために、主砲の松井秀喜(元ヤンキースほか)との勝負を徹底回避。5打席目の敬遠のときには、グラウンドにものが投げ込まれ、観客の怒号に包まれる異様なムードとなった。
結果は明徳義塾の勝利。「勝つためには手段を選ばぬ」という徹底ぶりだったため、その試合以降、「非情」「勝負の鬼」というヒールのイメージが馬淵にはつきまとう。
しかし、トレードマークのダミ声で、人情の機微を豊かに伝える「馬淵節」はよく知られており、ケレン味のない笑い声も人間味たっぷり。つまりは人情派、でもあるのだ。
2002年夏に甲子園初優勝を果たしたときの男泣きは名シーンといっていい。
また、狙いすました作戦が失敗したときにベンチで見せる、「あぁ…」という人間味あふれる表情も、ヒールとはかけ離れた印象を与える。明徳義塾の試合では、ベンチ内の馬淵監督の表情も味わってほしい。
ちなみに、明徳義塾ファンのちびっ子に「誰でもいいのでサインをください」と言われ、「おっちゃんのでええか?」と笑わせるなどジョークもうまい。
約30年に渡って指揮を執っている馬淵。通算48勝も素晴らしいが、自身の甲子園デビューとなった1991年の夏から2010年の夏にかけての「20大会連続勝利」という大記録も打ち立てている。
2011年のセンバツで日大三に5対6で敗れたことで途絶えてしまったが、今後、この記録を塗り替える監督は現れないのでは、という偉業だ。
先日、将棋の藤井聡太四段がデビューからの29連勝を達成して話題を呼んだが、団体競技の野球での記録だけに、まさに「神ってる」としか言いようがない。
ネガティブな部分が取り沙汰されてしまうことも多いが、人情味にも功績にも目を向けたい大監督だ。
作新学院の小針崇宏監督や横浜の平田徹監督など、30代の監督が脚光を浴びはじめている高校野球界。
選手の気質も変わっているので、監督の世代交代が必要かと思うが、還暦を過ぎた監督の頑張る姿もまだまだ見ていたいと思う。
66歳の鍛治舎監督、62歳の馬淵監督。ベテランにしかない味で、この夏も沸かせてほしい。
文=森田真悟(もりた・しんご)