《東邦対八戸学院光星、9回裏のドキュメント》人為的に作られた魔物 〜俺らがなんかしたんか……〜
「この夏の甲子園で最も感動的だった試合は?」。そんなアンケートでもあれば、1位に選ばれただろう。8月14日、大会8日目の第3試合で行われた東邦と八戸学院光星の一戦だ。
9回裏を迎えた時点で9対5と八戸学院光星がリード。ネット裏中段の席にいた僕も、試合は決した、という気分で眺めていた。ところが、ところが……、そこから“あんなこと”が起こったのだ。
東邦が一挙5点を挙げての逆転サヨナラ勝ち。まさに最後まで諦めない高校野球の醍醐味を見せつけたドラマに、ファンもマスコミも沸き立ち、大興奮……。しかし、僕はその気分であの結末を見ることはできなかった。
◎「あ、それ面白そう。俺もちょっとやってみよ」という“乗り”
9回裏。東邦の先頭打者・鈴木光稀が打席に入った時にはもう、球場は何かが起きる空気に包まれていた。劣勢のチームを応援したくなる判官びいきの心情は、これまでの甲子園でもしばしばドラマを演出してきた。
近いところでは日本文理と中京大中京の決勝戦(2009年)、佐賀北と広陵の決勝戦(2007年)、駒大苫小牧と済美の決勝戦(2004年)……。どれも今回の9回裏と似た空気が生まれ、その空気を味方につけたチームが敗れた日本文理を含め、ドラマを起こした。
上の3試合でスタンドの大歓声を受けた佐賀北、駒大苫小牧、日本文理には、長らく高校野球界で弱小県と見られていた地区の代表という背景があった。それがより観客の声を大きくし、グラウンドをぐるりと囲んでの大応援につながっていた。これには僕も違和感を覚えることはなかった。
対して今回、スタンドの大応援を受けたのは名門、強豪の東邦。あれだけの大声援を受ける理由が僕には見つけられなかった。
何がきっかけであの空気が生まれたのか。おそらく……。「あ〜、9回か。5点差はきついな。東邦が2、3点くらい返して、少しは盛り上げてほしいよなあ」。こんな気分のファンが軽いノリで手を叩き始めてみた……。そこへ軽快な吹奏楽の応援が重なり、手に持っていたタオルも掲げて回してみた……。
すると、「あ、それ面白そう。俺もちょっとやってみよ。追い上げるところを見たいし……」と、次々と同調者が現れ、瞬く間にあの光景となった。そんな感じではなかったか。
加えて以下の要素も関係していたのかもしれない。東邦対八戸学院光星の次の第4試合には履正社と横浜の試合が控えていた。つまり、寺島成輝(履正社)と藤平尚真(横浜)の“ドライチ候補対決”目当てに訪れていたファンの高揚した気分が、9回の異様な盛り上がりに関係したのでは? という意味だ。
あるいは……。この日の第一試合は、いなべ総合学園が7対2で山梨学院を下し、第二試合では常総学院が8対3で中京に勝利。見ている者をワクワクさせる展開がなく、3試合目も9回を迎えた時点で9対4。「もうちょっと盛り上がった試合をみたいなあ」というファン心理が、劣勢の東邦の応援へより気持ちを駆り立てたのかもしれない。
東邦対八戸学院光星の2日後の第3試合。鳴門が盛岡大付を11対9で破ったが、その時も盛岡大付が9回に大応援のなか4点を挙げ、あと一歩のところまで迫った。この日も、第1試合が13対5、第2試合が6対1とワンサイドゲームが続いた後で、4試合目に再び履正社が登場。関東の強豪・常総学院と対戦の好カードが控えていた。
単なる偶然か、前後の要素もドラマの演出に関係していたのかもしれない。
襲いかかる大観衆が書いた“筋書き”
東邦対八戸学院光星の9回裏に話を戻そう。先頭の鈴木光がヒットで出塁。ここで応援はボリュームアップ。そこからレフトフライ、盗塁、タイムリーと続き3点差。大合唱とタオル回しの大応援は異常なまでの盛り上がりを見せ、この時点で僕は逆転があるかも……、と感じていた。
筋書きがないはずのドラマに筋書きが見えた気分だった。それでも異様な空気のなか、八戸学院光星の櫻井一樹が踏ん張り、東邦の4番・藤嶋健人を打ち取り2死。しかし、あと1人となったことでさらにボリュームを上げた大声援に乗り、そこから怒涛の4連打。14分足らずの攻撃で9回裏のスコアボードに「5X」が入り、ゲームは終わった。
耳をつんざくような大声援のなか、僕の気持ちは歓喜の東邦ナインよりも、呆然自失といった姿でホームベース付近へ集まってきた八戸学院光星ナインに向いた。「俺らがなんかしたんか……」。重い足取りからは、そんな声が聞こえてくるようだった。
彼らが何をしたわけではない。しかし突如、勝負の神ににらまれたかのように、4万7千の大観衆の大半を敵に回しての戦いを強いられた。マウンドで戦った八戸学院光星の櫻井は「全体から(東邦が)応援されていて、全員が敵なんだなと思いました」と試合後にコメントした。
あれだけの大観衆が感情を乗せて、タオルを振り回しての大合唱。18歳の少年にとってどれだけの重圧だったことだろう。
“顔の見えない世論”に変質させられた魔物
元から東邦を応援している者が、負けたくない、と最後の声を振り絞るのは自然だ。しかし、とくにどちらを応援するでもなく、ついさっきまで試合をのんびりと眺めていた者たちが突如、東邦の熱烈な応援団と化し、そこへ7割、8割の者が加担する……。
何か、“顔の見えない”ネット住民が世論を作り、逆にネット住民を敵に回すと一気に自らの立場を危うくする芸能人や政治家らの顔……。そんな時代の気配を甲子園で感じた気分だった。
「甲子園には魔物がいる」と言われ続けてきた。魔物の正体は多くの場合、空気と置きかえてもいいだろう。ただ、魔物はどこからともなく現れてくるイメージだが、あの試合の魔物は、ドラマを見たがっていた人たち、感動を欲していた人たちによって人為的に作られた印象だ。
そして、八戸学院光星は作られた魔物に飲みこまれ、十中八九手にしていたはずの勝利を逃した。試合終了を知らせるサイレンをかき消すような大歓声も、僕には、「俺たちがやったんだ」という“応援団”たちの自己主張のようにも聞こえた。
敗者へ向けられる優しい眼差しも抜け落ちた決着。僕のなかには苦い味だけが残ったのだった。
谷上史朗(たにがみ・しろう)
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