乱闘という言葉を聞いて、思い浮かぶのは外国人選手の大立ち回りが圧倒的に多い。広島にも多くの荒くれ外国人選手が在籍していた。
そのなかでも、最も恐るべき男はヤツを置いて他にいないだろう。
ヤツとは、1989年から3シーズンにわたって広島で暴れ回った「漆黒の長距離砲」ことアレンだ。189センチ92キロの巨体を誇り、腕っぷしの強さで果てしなく打球を飛ばすパワーは、広島史上最強との呼び声も高い。
そのアレンが、球史に残る大乱闘を繰り広げたのは1990年6月24日のこと。
大門和彦(大洋)から死球を受け激昂したアレンは、一目散に逃げる大門をバックスクリーンまで追いかけ回し、前代未聞の「長距離乱闘」を繰り広げたのだ。
アレンと風貌が瓜二つと言われた、チームメイトのヤングも加勢し、2人で大門を追いかけ回したシーンは、30年近く経った今でも鮮やかに記憶に残る。大男に2人に追いかけ回された大門は、生きた心地がしなかったことだろう。
結果、アレンは退場。また、加勢したヤングがアレンに間違われて取り押えられるというユーモラスな一面もあった乱闘劇だった。
乱闘と言えば、広島史上屈指の「強面」であり、プロ野球史上初の背番号0で名を馳せた長嶋清幸も外せない。
静岡県自動車工業高時代から長嶋は、甲子園出場こそないものの高い身体能力をスカウトに評価されていた。しかし、その素行が問題視されたのか、ドラフトでの指名はなく、ドラフト外での獲得に関心を示したのは広島と南海だけ。だが、長嶋本人、両親はともに、阪神への入団を熱望していたという。
しかし、広島のスカウト・木庭教は長嶋の両親をこう口説き落とした。
「息子さんは本当にワルです。大阪の街に出したらとんでもないことになるでしょう。広島という狭い街なら悪さはできません。広島に入りましょう」
この口説き文句に両親はあっさり降参。長嶋の広島入団が決まった。それほどまでに、長嶋という男はやんちゃだったのだ。
そんな長嶋の腕っ節の強さは、プロ入りしてからも健在。乱闘あるところに必ず長嶋がいたものだった。
特に有名なのが、1988年9月9日の中日戦での乱闘劇だ。死球を巡り大乱闘となったこの試合。マウンド付近で多くの選手が揉み合いになっているところへ、センターから猛然とダッシュしてきた長嶋は渾身の飛び蹴り一閃! その後は4人を相手に1人で奮闘。
乱闘の原因を作ったわけではないのに、1番目立った活躍(?)を見せ、あえなく退場となった。この暴れぶりを指して「長嶋清幸最強論」を唱える者は多い。
最後は、今シーズンでの引退を表明した黒田博樹を挙げたい。黒田はドジャース在籍時の2008年のプレーオフ、相手チームからの度重なる死球攻めに対し、報復のビーンボールを投げ込み、乱闘騒ぎを引き起こしたことがある。
「荒くれ者」が多く集うメジャーの真ん中で、ワールドワイドの乱闘を演じた実績を持つ黒田も「強者」と言っていい。大柄の外国人相手に一歩も退かず対峙した様はまさに侍。その闘志は最強と呼ぶに相応しい。
広島復帰後も、藤浪晋太郎(阪神)やマイコラス(巨人)とひと騒動を起こしたのは記憶に新しい。若手、外国人関係なく喝を入れる姿は、まさに鬼神。世界を股にかけて闘った男の気迫は一味違うのだ。
ほかにも数多くの「荒くれ者」、「強者」が在籍していた広島。ここで挙げた3選手だけで「最強説」を唱えようとすれば異論もあるだろう。ただ、この3選手は、球団史に燦然と輝く強者である事は誰もが認めるところ(アレンに殴られたらとてつもなく痛そうである……)。
黒田が引退し、「荒くれ者」、「強者」と呼べるような選手のいなくなってしまった広島。次世代の強者育成は急務……なのか?
文=井上智博(いのうえ・ともひろ)