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メークドラマと長嶋茂雄 〜1996年付近の長嶋巨人〜(第5回)

 マウンドから松井秀喜が投じたボールを原辰徳が受け、打席に長嶋茂雄が立つ…。この号が出る頃にはすでに行われているであろう、5月5日の東京ドームでの「国民栄誉賞授与式」の始球式セレモニー。

 年齢的に50〜60代なら「燃える男」、30代後半〜40代なら「四番サード原」、20代〜30代前半なら「ゴジラ松井」と、各世代がそれぞれ野球少年だった頃、それぞれ3人はその世代の憧れの野球選手だった。

 そんな各世代のヒーロー3人が同じチームに所属し、クロスしていた1990年代の巨人軍は、今考えるとなかなか感慨深いモノがある。今週の長嶋茂雄ラボでは、そんな1990年代の第二次長嶋政権を振り返りながら、いわゆるひとつの「メークドラマ」という名言が生まれた1996年を中心に、長嶋さんを徹底解剖していこうと思う。

◎第二次長嶋政権スタート  思い起こせばもう20年も前の1993年のシーズンから第二次長嶋政権がスタート。前年のドラフト会議で松井秀喜を引き当てた長嶋さんは「スピード&チャージ」をテーマに掲げてペナント奪回を目指すも、監督復帰シーズンは3位という残念な結果に終わってしまった。

 そもそも「スピード&チャージ」とは長嶋さんが浪人時代に刺激を受けたキューバ野球をモデルとする攻撃スタイルのことだったらしいが、その真意はあまり語られていない。スピードはわかるがチャージとは大砲に弾を込めるという意味から「攻撃準備」につながり、つまりは「スピードある攻撃をしよう」という意味らしいが、今となっては知る由もないのだ。

 そのオフにFA制度が導入されると、中日からさっそく落合博満を獲得。巻き返しを図った1994年は長嶋さん自ら名付けたと言われる「国民的行事」のナゴヤ決戦で中日を振り切ってセ・リーグを制覇した。槇原寛己、斎藤雅樹、桑田真澄の投手リレーが今でも思い浮かぶ「10・8」は、まさに球史に残る試合といえるだろう。その勢いで西武を破り、日本一まで上り詰めるが、巨人の監督として西武に勝利したのは実は長嶋監督が初めてであった。


イラスト/ながさわたかひろ



◎大型補強と失われる浪漫(ロマン)  しかしながら、この辺りから巨人は迷走し始める。翌1995年にはヤクルトから広澤克巳ジャック・ハウエルを獲得。さらに広島から川口和久を獲得し、セ・リーグ優勝間違いなしと言われるが、結局3位でシーズン終了。

 このあたりから「新アンチ巨人」が急増したのは間違いない。金にモノをいわせて他球団から戦力を強奪するやり方に非難が集中していった。逆に、この年に優勝したヤクルトや2位だった広島にとってみれば戦力を奪われたものの、奪った側の巨人に勝つ事でプロ野球ファンの関心を集めるようになった。

 さらに同年、原辰徳が現役引退を表明。長きに渡り巨人の四番を務めた原は、前年には落合、さらに広澤と同タイプの強打者を補強するチーム方針が影響し、出場機会が激減。これも引退を決意した理由のひとつだったはずだ。

◎前年の屈辱を晴らす「メークドラマ」完結  そんな状況のなか、翌1996年は第二次長嶋政権で最もエキサイティングなシーズンとなった。「進め!電波少年」で猿岩石が香港からヒッチハイクに出発し、196日後にロンドンにゴールしたこの年。

 7月、長嶋さんはゲーム差が2ケタになっても「奇跡を起こそう。メークドラマだ!」とナインを鼓舞し続けていた。その言葉が現実となるドラマが7月9日の札幌円山球場から始まる。

 貯金21の首位を走る広島に対してゲーム差は11の巨人は二回2死ランナーなしの場面から9者連続安打で一挙7点を奪って勝利。翌10日の広島戦にも勝ち、連勝した巨人は7月を連敗なしの13勝5敗で盛り返し、さらに8月は19勝7敗と快進撃をみせた。そのさなかの8月20日、巨人が横浜に8-6で勝ち、広島が中日に3-4で敗れたことで、広島と最大11.5差あったゲーム差を大逆転。その後、2年前の「国民的行事」に程近い、10月6日、場所は同じくナゴヤ球場で中日に勝ち、リーグ優勝を決めた。

長嶋さんが叫んだ「メークドラマ」はこの年の「日本新語・流行語大賞」に選ばれたのだった。

 実はこの「メークドラマ」という言葉は完全な「造語」で、正式には「Let miracles happen(奇跡を起こそう)」といった意味に近いらしい。外人に「メークドラマ」と言っても何の事だか解ってもらえないので注意が必要だ。ちなみに当時のヤクルトの野村克也監督は「メイク=make」に引っ掛けて「負けドラマ」と言い換え冷笑していたそうだが、実にノムさんらしい話しだ。

◎2008年のメークレジェンド、そして継承へ  その後はシーズン中に11.5以上のゲーム差が開くと、マスコミはこぞって1996年の「メークドラマ」を引き合いに出し、「メークミラクル」や「ミラクルアゲイン」といった言葉を見出しに使うようになる。

 しかし1999年に中日を猛追した際も「メークミラクル」の期待が高まったものの優勝を逃し、さらには2001年のヤクルトを追い上げた時も「ミラクルアゲインなるか」といわれたが結果は2位に終わってしまう。この言葉はいずれも長嶋さんが放った言葉ではなく、マスコミが作った言葉だった。

 そして時は流れ、第二次原政権の3年目の2008年シーズン。リーグ史上最大の13ゲーム差をひっくり返してセ・リーグ優勝を果たした巨人の戦いぶりは「メークレジェンド」と評された。数ある長嶋語録の中でも最高傑作のうちのひとつである「メークミラクル」は「メークレジェンド」となって原辰徳監督に継承され、さらには松井秀喜に受け継がれるのか。そうだとしたら、その瞬間には長嶋さんには必ず立ち会っていただきたいものだ。


<バックナンバー>
第1回:長嶋茂雄とは何だったのか?
第2回:長嶋茂雄と天覧試合
第3回:長嶋茂雄とマンガの世界
第4回:長嶋茂雄と松井秀喜〜巨人軍4番の系譜〜

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