子どもの頃は「怪童」と呼ばれても、時が経つにつれ「普通の人」になってしまうのがほとんどだ。しかし、怪童がそのまま大きくなり、大人になってからはさらにスペシャルな存在となる人物がいる。
第一線で活躍するプロ野球選手がそうだろう。ここではそんな選手たちの怪童時代を振り返ってみたい。
昨シーズンの不調を吹き飛ばすかのような活躍を見せている中田翔(日本ハム)。打率.265、25本塁打、106打点は昨シーズンの成績を超えており、まさに蘇ったといえる。その中田も怪童エピソードにはことかかない。
大阪桐蔭高時代には先輩を洗濯機に入れた、という情報があったほどだ。これは後にテレビ番組で中田本人から訂正が入る。しかし、その訂正内容に衝撃を受けた。「そういうことをやってない」というわけではなく、「洗濯機ではなく乾燥機だった」と……。訂正したのは「入れたその先」だったのだ。
アマチュア時代からスラッガーとしてならしていた中田だが、その他の行動も規格外、まさに怪童だった。
プロに入ってからも怪童上がりらしいエピソードがある。自身のInstagramでは、「優勝旗を持ち上げて振り回していると、ぽっきり折れてしまい驚いている本人」の写真が4コマ漫画のように掲載されたのだ。故意ではないとはいえ、優勝旗を真っ二つに折る選手は滅多にいないだろう……。
昨年のドラフトで東京大の宮台康平が日本ハムから指名を受けた。ルーキーイヤーの今シーズはまだ実績を上げていないものの、国内最高峰の東京大法学部出身だけに、大きな注目を集めている。なお、学歴でみると2014年のドラフト2位で京都大からロッテに入団した田中英祐も負けてはいない。残念ながら引退してしまったが、田中も大きな話題を呼んだ。
この2人のように一般入試で高学歴の大学へと進学し、プロでも活躍した選手が存在する。小宮山悟氏もそのひとりだ。
小宮山悟氏は芝浦工業大柏高を卒業後、二浪を経て早稲田大に入学。ブランクを感じさせない投球を見せ、1年秋に初マウンドを踏み、2年秋にはエースとなった。そして、野茂英雄氏が1位指名で史上最多の8球団競合した1989年にドラフト1位でロッテに入団した。
プロ入り後は、日米で活躍し2009年に引退。来年から早稲田大の監督に就任することが報じられた。野球推薦という武器を使えずとも、一般受験で早稲田大教育学部へ入学した小宮山氏が理路整然とした解説を行うのは当然のことなのかもしれない。
また、ヤクルトの頭脳でもあった古田敦也氏も一般入試で立命館大に入学。その後、トヨタ自動車を経てヤクルトに入団。ヤクルトの黄金期を築き、監督まで勤め上げた。球界再編騒動の際には労働組合日本プロ野球選手会会長として陣頭指揮をしたことからも、頭脳明晰だったことがよくわかる。
プロ野球選手となるほどの野球の腕前があり、かつ、一般受験で有名大学に入学できるほどの頭脳があるのはまさに怪童だろう。天は二物を与えている、といっても間違いではない。
最後に「プロ野球選手の怪童時代のエピソード」からは離れるが、最近の中学野球、高校野球で偉業を達成した怪童を紹介したい。
先日、大阪桐蔭高が福井国体で優勝を飾った。台風の影響で準決勝に残った4校が優勝扱いとはいえ、変わらずに勝ち抜いたことは素晴らしい偉業に違いない。これで大阪桐蔭高は驚異の8冠を達成。根尾昂、藤原恭大らドラフト1位候補は有終の美を飾ったことになる。
この大阪桐蔭高の「高校8冠」に匹敵する記録を、ボーイズリーグのあるチームが「中学5冠」を達成していた。2013年の枚方ボーイズ(大阪府)だ。
その5冠達成の中心メンバーである九鬼隆平(現ソフトバンク)、松尾大河(登録名は大河/現DeNA)は、恩師・鍛治舎巧監督(現県岐阜商監督)率いる秀岳館高(熊本県)へと進学する。すると4季連続で甲子園へ出場、3度のベスト4とそれまで甲子園での実績に乏しかった秀岳館を全国屈指の強豪へと押し上げたのである。
小学、中学時代に日本代表級の成績を残しても、高校進学以降に結果を出せない選手は多い。そのなかで中学、高校時代とともに全国の舞台で活躍し、プロ入りを果たした九鬼と松尾はまさに怪童だったと言える。
2人のプロ入り2年目のシーズンは終わった。まだプロでの実績はないが、来シーズン以降に結果を出し、「怪童はプロに入ってもすごかった」と言われる活躍に期待したい。
文=勝田聡(かつた・さとし)