【最北端&最南端対決】五十嵐亮太(ソフトバンク)?いや、玉井大翔(社会人)vs.大嶺祐太・翔太兄弟(ロッテ)
プロ野球には北海道から沖縄まで、全国各地の逸材が集まってくる。そこで、「最北端」の選手と「最南端」の選手は誰なのか? また、それぞれに際立った特徴はあるのか? 南北にまたがって調査してみた。
【最北端】えっ、五十嵐亮太が最北端?
日本の最北端は宗谷岬がある北海道稚内市。稚内出身のプロ野球選手といえば、かつてロッテで右の強打者として活躍した大村巌(現DeNA1軍打撃コーチ)がいるが、現役選手はいない。現役選手の中で最北端出身者は、意外なことに五十嵐亮太(ソフトバンク)だ。千葉県出身というイメージだが、実は出身地は母の実家がある北海道留萌市(宗谷岬から約200キロ南)。幼少期は札幌で過ごしていたという。しかし、球歴は千葉でスタートしているため、純然な「最北端選手」に認定するのは違和感があるだろう。
宗谷岬から約270キロ南に位置する旭川市は、かつて星野伸之(元オリックスほか)や鈴木貴久(元近鉄)を輩出している野球どころ。現役選手では明石健志(ソフトバンク)に、育成選手の成瀬功亮(巨人)が旭川市出身だ。
明石は中学ではボーイズリーグの強豪・旭川大雪ウィナーズ(現旭川大雪ボーイズ)でプレーし、高校から山梨学院大付高に野球留学している。2012年にはプロ9年目にしてレギュラーに定着。同年7月7日の日本ハム戦では、乾真大からなんと19球も粘った末に四球を選んだ。この根気強さは北国で培われたのだろうか?
一方、高校から北海道を出た明石と違い、成瀬は地元の旭川実高に進学した。高校最後の夏である2010年には甲子園に出場。ただし、背番号10の控え投手だった。甲子園ではリリーフで好投している。また、余談になるが旭川実高の三塁手は投手が投球するたびに「キャァ〜!」と奇声を上げて話題になった三浦将吾だった。
今年でプロ5年目を迎える成瀬には、「純粋培養型最北端プロ選手」として支配下登録を勝ち取ってもらいたいものだ。また、成瀬の陰でこんな投手がいることも紹介しておきたい。前述したように成瀬は旭川実高の背番号10を背負って甲子園に出場したが、続く背番号11を付けた三番手格の投手が、ここにきてドラフト戦線に浮上しているのだ。
その名は玉井大翔。網走市佐呂間町出身の最速147キロ右腕だ。高校卒業後、一部マニアの間では“東農大網走”と呼ばれる東農大北海道オホーツク(網走刑務所の近くにある)に進学すると、1年春の開幕戦でノーヒットノーランを達成する衝撃デビューを飾った。細かな制球力や勝負度胸は同期でプロに進んだ風張連(ヤクルト)より上という声も多い。
現在は社会人の新日鐵住金かずさマジックに進み、今春の東京スポニチ大会では早くもリリーフとして活躍。来年のドラフト指名を狙う道産子右腕がもしプロに進めば、大学まで北海道で過ごした点を評価して、勝手ながら「最北端プロ選手」に認定したい。
▲東農大北海道時代の玉井大翔。現在は社会人野球で活躍中。
他にも、旭川市とほぼ同緯度の北見市は、古谷拓哉(駒大岩見沢高〜駒澤大〜日本通運〜ロッテ)を輩出している。
【最南端】日本一有名な「最南端兄弟」
日本の最南端は、沖縄県八重山諸島にある波照間島である。最南端の市となると、沖縄県石垣市。石垣市出身のプロ野球選手は意外と多く、現役選手だけで3人いる。そのうちの2人は有名な兄弟……と書くと、ピンと来る読者も多いだろう。そう、大嶺祐太・翔太兄弟(ロッテ)だ。
大嶺兄弟の出身校は、日本最南端の高校である八重山商工高。2006年には大嶺祐を擁して沖縄県離島勢として初めて甲子園に出場した。小学生時代から高校まで伊志嶺吉盛監督から厳しい指導を受けて甲子園に出場したサクセスストーリーは、さまざまな形で報道され、多くの野球ファンが知ることとなった。大嶺祐はその後、高校生ドラフト1巡目指名を受けてロッテに入団。ここまで7年間で17勝21敗と、その潜在能力からすれば物足りない結果だが、高校時代から「のんびり屋」と呼ばれていただけに、これから大器晩成ぶりを見せてほしい。
▲高校時代の兄・大嶺祐太
一方、弟の大嶺翔のプロ入り前と言えば、その大半がヤンチャな武勇伝になってしまう。幼少期から将来を嘱望されるほどの素質を持ちながら、大嶺翔の野球への熱意は低かった。中学時代は高校野球どころか進学する意思すらなく、伊志嶺監督の説得を受けて八重山商工高の受験を承諾するも、入学願書を提出する日まで遊び呆けて、危うく進学できないところだったという(伊志嶺監督が大嶺翔を無事捕獲してギリギリ提出した)。
高校進学後も日常生活の乱れがあり、公式戦で2度もペナルティーで欠場するという失態を犯している。それでも2年秋から主将になり、秋の沖縄大会で敗れた悔しさから人が変わったように練習に打ち込むようになった。しかし、最後に大きな落とし穴が待っていた。2009年のドラフト会議でロッテから3巡目指名を受け、後日に居酒屋で飲酒・喫煙をするという大問題を起こしてしまったのだ。
プロ入り後は角中勝也から「最初からタメ口のクソガキ」と言われながらも、かわいがられる存在に。ありあまるエネルギーが野球に100パーセント向いたらどんな選手になるのか……。プロ5年目の昨季は初めて1軍出場を果たし、今季は開幕1軍入り。そろそろ開花の日が近づいているのかもしれない。
▲弟・大嶺翔太。昨季の16試合出場から、今季はすでに38試合に出場している
最後にもう1人の石垣市出身者は、ソフトバンクのリリーフ左腕・嘉弥真新也だ。高校は八重山商工高の近くにある八重山農林高で外野手兼控え投手としてプレー。そこから那覇市にあるクラブチーム・ビック開発ベースボールクラブに進み、投手としての才能が花開いた。ちなみに、嘉弥真の父は12人兄弟で、いとこはなんと130人もいるという。
「子だくさん」も沖縄の個性。これからも南の地からパンチの効いた逸材が続々と誕生するのを楽しみにしたい。
■プロフィール
菊地選手(きくちせんしゅ)/1982年生まれ、東京都出身。『野球太郎』編集部員を経て、フリーの編集兼ライターに。野球部員の生態を選手視点から分析する「野球部研究家」としても活動している。著書『野球部あるある』シリーズは累計10万部のヒット書籍に。ツイッター:@kikuchiplayer。
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