子どもを野球好きにさせるには? 子どもを将来野球選手にしたい! そんな親の思惑をことごとく裏切る子どもたち。野球と子育てについて考える「野球育児」コーナー。野球ライター“ハリケン”こと服部健太郎さんが実話を交えて、「親子間のアドバイス」について語ります。
「今日ね、あの二人久しぶりにパワプロしてたわよ」
先週のある夜、子どもらが寝静まった後、妻とコーヒーを飲んでいると、そんな一日の報告が入ってきた。
「へぇ〜。そういや長らくやってなかったもんな」
「『兄弟でこうして対戦するの久しぶりやな〜! 懐かしいな〜!』って言いながらやってたよ」
パワプロとはコンピューター野球ゲームソフト、「実況パワフルプロ野球」の略称だ。先週、中3の長男ゆうたろうと中1の次男こうじろうは共にインフルエンザにかかり、学校を数日間欠席。しかし、熱が下がり、体のしんどさもなくなった終盤の時期には彼らも暇を持て余し、「久しぶりにパワプロでもやるか!」となったらしい。妻は続けた。
「そうしたらね、『このパワプロがすべての始まりだったんだよなぁ。このパワプロと漫画の『MAJOR』がなかったら、野球やってないような気がするんだよね』なんていいながらやってるの」
「へぇ〜そんなこと言ってるんだ。まぁ、たしかに野球をやってほしいという狙いをこめて、パワプロのソフトも買ったし、『MAJOR』の漫画も大人買いしたんやからなぁ」
「そうだったわよねぇ…」
野球を好きになるきっかけになればと願い、当時小1と幼稚園年中だった息子らに野球ゲームと当時大流行していた野球漫画を買い与え、そのことが彼らの野球熱の噴火を呼び起こした。このあたりの話はこの連載の第1回目「野球熱噴火のきっかけ」でも記したので、詳細は割愛するが、「ゲームと漫画があのタイミングでなければ野球をおそらくやっていない」という感覚を彼ら自身が現在抱いているということに関しては初耳であり、私自身、少々驚いた。妻は息子たちの一日の言動報告を続けた。
「ゆうたろうがね、『今思えば、このパワプロも、野球を好きにさせるパパの作戦だったんだよな…まんまと乗っちまったぜ。そのおかげで今、おれ、こんな野球漬けの日々に』なんて言ってたよ」
「そんなこと言ってんの!? そりゃ当たってるけど…。ほんでおまえなんて言ったん?」
「『そりゃあ、そんな思いを込めてお父さんがゲームや漫画を買ったのは事実だけど、作戦に乗るのがいやなら、乗らなきゃよかったじゃないの』って言ってやったわよ」
「そうしたら?」
「『あの時点ではまだ小学生になったばかりだったから、作戦とは気づかなかった。作戦だったのかなと思い始めたのはわりと最近』なんて言ってた。でも別に文句を言ってるわけじゃないのよ。ただ『親父の目論見どおりにおれたちは動いてしまったんだなぁ』という事実確認みたいな話よ」
「ふーん、なるほどねぇ…」
(子どもに施した作戦も、結局、いつの日かばれるんだなぁ…)
そんなことを考えていた。
「でも、あなた、あの子らがいざ、野球始めてからも、モチベーションを上げることに常に精力を注いでたわよね」
「そうか〜? たとえば…?」
「DVDで録画した野球関係の特集をさりげなく見せたりとか」
「あ〜、それな…。それはもう、今でも当たり前のようにやってしまうわな」
テレビを見ていて、「あー、この言葉、この考え方、息子らに聞かせたい!」「この選手の技術テクニックの奥深さ、息子らのヒントにさせたい!」「この選手が小さい頃からどれだけがんばって努力してきたのかを知ってほしい!」といった思いに駆られてしまうことはよくある。番組名で言うと、『プロフェッショナル 仕事の流儀』、『アスリートの魂』(ともにNHK)、『情熱大陸』(TBS系列)、『報道ステーション』(テレビ朝日系列)のスポーツ特集、といった系統にありがちだ。
だが、「この番組、いいこと言ってるから、ここへ座って見ろ!」という言い方で、強制的に見させると、子どもという生き物はもう一つ素直になれないもの。私自身も小、中学生時代に、父に「この本のここを読め!」などとよく言われたが、いくら いいことが書いてあっても、強制モードで言われると、どこか素直になれない部分があった。
そこで録画しておいた番組を「息子らがテレビを見れる範囲にいるときに偶然流れるように仕向ける」作戦をとることが多くなっていった。
例としては、ご飯を食べている最中に「あ、そうだ、昨日録画したあの番組、見てなかったな(実は既に見ている)」といい再生を開始。我が家の場合、食事時に子どもらの座る席の背中側にテレビが置かれているため、テレビを見ようとすると必然的に後ろを振り返る形になる。けっして行儀はよくないのだが、子どもらが振り返ると私は「しめしめ。興味持ってるぞ」という気持ちが働き、行儀の悪さを諌める気持ちはどこかへ行ってしまう。(妻はけっしていい顔をしないが)
そして私はいかにも初めて番組を見たような顔で、極力わざとらしくならないように「へぇ〜こういう考え方でこのピッチャーは投げてるんだなぁ」「この選手、小さい頃、こんな練習してたんだねぇ」「へぇ〜『努力できることが才能である』かぁ。いいこというねぇ、この選手」などと独り言のようにつぶやく。息子らが「へぇ〜そうなんだ、知らなかった」「なかなか奥深いな、野球って」などと口にしようものなら、私は心の奥底でニンマリだ。
車に乗っている時に流れているDVDはほぼ見る習性があるので、見せたい番組をあらかじめ編集、ダビングしておいて、さもひまつぶしに車内で流しているように思わせつつ、息子らの目に触れるように仕向けることも日常茶飯事。お風呂からあがると、息子らはしばしの間、リビングでゆっくりする習性があるため、お風呂からあがる時間にちょうど見せたいシーンが偶然流れるよう、時間を逆算することもしょっちゅうだ。
息子らがお風呂からあがる。ソファーに座る。興味深そうに録画再生番組を見始める。もう少しで息子らに見せたい場面がやってくる。「よし! 読みはぴったり!」と思っても油断はならない。見せたい場面がまさにやってきた瞬間に妻が「ねぇ、あんたたち宿題やったの!?」「今日、学校でこんなことがあったんだって?」などと息子らに話しかけることが実によくある。
(なんで、今話しかけるかなぁ〜!? おい、お前たち、おかあさんの言うことは今は無視してもいいぞ! 今はテレビ画面を見てくれ…!)
そんな願いむなしく、母親の言葉に反応してしまい、息子らの心に刻まれないまま、見せたいシーンが過ぎ去ってしまうことがこれまでに何百回あったことだろうか。
その都度、私は妻をきっとにらみ、妻は「ごめん、ごめん、私またやっちゃった?」という顔をするのだが、私の計画を台無しにする行為は、一向に改善される気配がない。「そんなんわかんないわよぉ〜。あらかじめ、何時何分にこういう計画を練ってるから、話しかけるなって言ってもらわないと」と妻は言うが、言わずとも、雰囲気で察知できる奥さんであってほしい、というのは私のわがままなのだろうか。
「まぁ、たしかに、同じいい言葉を伝えるにしても、親の口から聞かされるよりは、実際に活躍する野球選手の口から聞かされた方が、子どもらは素直に受け入れるだろうね」と妻。私のまわりくどいやり方について、一応、納得はしてくれている。
「よく考えたら、対象は野球選手だけとは限らないよね。あなた、一昨年だったか、こうじろうをAKBのドキュメンタリー映画に連れて行ってなかった?」
「あー行った、行った」
少年野球時代、最上級生でキャプテンを務めることになった次男。しかし、遠慮からか、自分の思うことをはっきりと周囲に言えない様子に苛立った私は、AKB48のリーダー、高橋みなみの優れたキャプテンシーから学べる要素があるのではないかと思い、たまたま余った前売り券が回ってきたという芝居を打ち、次男を映画館に連れて行った。
「でも、あなた、あれはよかったんじゃない? あれからこうじろう、キャプテンとして、随分変わったもの。ミーティングで話す内容も、気づけば高橋みなみみたいになってたし、『いいキャプテンになってきたね!』って私も周りから随分と褒められたよ。『キャプテンにとって必要なのは嫌われる勇気を持つこと』っていう、たかみなの言葉が随分と響いたみたいね。あんな一見華やかなアイドルグループが裏でどれほど過酷な競争と努力を強いられているか、っていうことについてもずいぶんびっくりしたみたいだし、きっといい刺激になったんだろうね」
「もうね、あいつらの意識に好影響をもたらすなら、この際、AKBだろうが、野球に関係あろうがなかろうが、なんだっていいんだよ。親の口から言うよりは絶対に素直に心に入っていくんだから」
「そういえば、AKB48のドキュメンタリー映画第3弾が2月1日から今年も上映されるらしいよ。前売り券、買っとこうか?」
うむ。使えるものはなんでも使おう。今年も一芝居打つことにしますか。
でもこの作戦も、いずればれる日がきっと来るんだろうなぁ…。