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波乱万丈すぎる高校野球監督・山本?(大阪偕星学園)アウトロー監督の逆襲

 全国でも有数の激戦区・大阪大会。今夏は例年以上に、全国の高校野球ファンから大きな注目を浴びたことに異論を唱える人はいないだろう。

 まさかの初戦で対決となった履正社対大阪桐蔭には、1万3000人以上の観客が集まった。最大の強敵に5−1で勝利した大阪桐蔭は、夏の大阪大会史上初の4年連続優勝に向かって、大きく視界は晴れた。ところが、7月28日の準々決勝で、大阪偕星学園に敗れることに。

 今春の府大会決勝戦で敗れたリベンジを果たした大阪偕星学園は、続く29日の準決勝、大冠に11−0の6回コールドで勝ち、決勝戦進出を決めた。甲子園初出場へとひた走る大阪偕星学園。チームを指揮するのは、異色の経歴をもつ「アウトロー監督」だった。



波乱万丈すぎる高校野球監督


 岡山で生まれ育ち、韓国のプロ野球でもプレー経験を持つ山本?(やまもと・せき)監督。その人生はまさに波乱万丈だが、この男を知る者は必ず山本監督を語る中に「本気」という言葉を入れてくる。決して雄弁ではない教え子たちの言葉の中にも、きっちりこの2文字が登場した。

 生徒たちが“本気”を感じるのは何もグラウンドだけではない。寝食を共にする寮生活の何気ない一コマにも、山本監督の本気、愛があふれている。

 寮ができて間もない頃の山本監督は、よく朝の4時に起きて寮生のために弁当を作った。2〜3時間の睡眠時間は当たり前。得意のから揚げを残して帰って来られた時にはガックリ肩を落としたが、そんな姿を生徒たちは見て感じていった。〈俺たちのためにここまで…〉と。今も、時に夕食が少ないと思えば、スーパーに走り食材を調達。蒸し豚、豚足、焼きそば…などを作って振る舞う。

「豚足なんて最初は食べなかったのをキムチとご飯と一緒に出して『とにかく食え!』と。ちゃんと食べたか骨までチェックしますから食べないわけにはいかないんです(笑)」
 こんな一コマもある。たとえば寮の規則を破るなどした生徒は山本監督から呼び出しを食らう。そして説教を受けたあとは山本監督の4畳半の部屋で一緒に寝るのだという。

「多い時は7人ですよ」

 4畳半に?

「なんとか寝られます。生徒には『お前らもいやかしらんけど、50前のおっさんもこんな狭いところで寝たないんや。だからルールはちゃんと守れよ』って言うんですけどね。子どもは順繰りで変わっても、こっちは1カ月くらい続く時もありますから」

 これも簡単にできることではない。しかし、そこにまた子どもたちは山本の“本気”を感じるのだろう。

ヤンチャ坊主とアウトロー監督


 キャラクターが極めて濃い人だ。清濁併せのむ豪放さと、抜け目のない緻密さも持ち合わせている。ただ、この男が何者かという答えはグラウンドにこそあるのだ。子どもたちの表情、声、日々の変化…。それがまさに答えなのだ。

 1年の夏から主軸を打ち、キャッチャーとしての試合経験も積んできた田端拓海は、初めて山本監督と対面した時、茶髪だった。

「中学3年の年明けくらいでした…」

 少々バツの悪そうな表情を浮かべる田端。当時は土日の野球と遊びには一生懸命だったが、学校生活には馴染まない超ヤンチャ坊主だった。だから進学先も最後まで決まらない。田端を山本監督へとつなげたのは、倉敷高時代の教え子で、プロに進んだ宮本武文(元巨人)だった。プロ生活を終えて和歌山に戻った宮本は、田端が所属していた和歌山シニアでコーチをしており、〈山本先生しか無理や〉と田端を連れてきたのだ。ところが、茶髪で挨拶もできない15歳に山本監督が爆発した。

「椅子を投げ飛ばされて、その場でハサミで髪を切られました。それもかなり適当に(笑)。あの頃はほんとにアホでした。人の言うことは聞かないし、挨拶もできなかったし…」(田端)

 そこからなぜ変われたのか?

「周りの人に迷惑をいっぱいかけてきた。そういう人たちに恩返しをしたいっていう気持ちになれたんです。それはやっぱり、完全に監督さんの影響が大きいです」

 選手にとってどんな監督?

「めっちゃ怖いですけど、でも、本気な人。愛情があるというか、そこは凄く感じます」

 子どもだからこそ、大人の気持ちに敏感。相手が本気で自分たちのことを案じているのか、それとも保身のためのポーズなのか…。ここはすぐに見抜く。

「そういうのはすぐわかります。監督さんは本気の本気で関わっているとわかったから、この人の言うことなら…となれたんだと思います」

 田端の前の3番に座り、春の大阪大会では3本塁打を打った西岡大和も入学当初はなかなかだったようだ。田端といい勝負だった?

「田端は無口で誰とも関わろうとしないタイプで怖そうでした(笑)。僕はにぎやかなヤンチャ系というか…」

 いざ入部すると、まず山本監督の迫力に驚かされた。続いて大阪一を自負するチームの練習量に圧倒された。1年夏、大会前の追い込み練習の時、あまりの厳しさに「やめようかと思ったこともありました」という。ただ、ここでやめたら野球までもなくなってしまうと思い留まり、そこから変わっていった。

「変われたのは、毎日の監督さんの言葉だと思います。自分たちのことを真剣に考えて言ってくれているのがわかるようになって…。僕たちを子どものように、家族のように考えてくれるんです」

 ここに来てなかったら?

「僕はどこかで野球も学校も続けてたと思うんですけど、今とは全然違う感じだと思います。中学時代のチームのコーチに会うと『お前静かになったなあ』って言われます(笑)」

 それにしても…。今や田端キャプテンに西岡副キャプテン。この並びがまさに大阪偕星学園を象徴している。

いよいよ決勝戦!大阪偕星学園は初の甲子園出場なるか?


 このエネルギーと、関わり方。なぜ山本監督はそこまでできるのか。

「みんな自分の子どもだと思ってますから。昔は近所のオッチャンたちが地域の子どもたちを『将来は町を支えてくれる大人になるんだから』って愛情をもって育てたでしょ? そんな感じですかね。根本は愛ですよ、愛」

 自分の子どもだと思っているから本気で怒り、本気で褒め、心底関われる。まさにザ・教師の言葉のはずだが、今の時代に聞くとどこか懐かしく感じてしまう。

「芯から腐ってる子なんかいません。環境だけ。ただ、子どもは完全に見透かしますからね。こいつは本気でくるヤツかどうかって。だから子どもになめられない心を持っていないと教育なんかできない。だけどそこで本気で関わってくれる人に触れれば、心が変わって態度も変わってくる。先生が本気になれば生徒も本気になりますよ」


 山本監督と出会い、生まれかわった子どもたちと、悪夢の中で野球に救われ、再び前に進むことができた山本監督。負けられない思いと監督譲りの“本気”を手に入れた大阪偕星学園ナインは、初の甲子園へ辿り着けるのか。


■プロフィール
山本?(やまもと・せき)/1968年生まれ、岡山県出身。津山商高、大阪学院大でプレーし、尽誠学園高でのコーチ生活を経て韓国プロ野球へ。2002年から倉敷高監督に就任。投手指導に定評があり、宮本武文(元巨人)らを育成した。2010年に保険金詐欺容疑をかけられ逮捕されるが、一貫して事実無根を主張して不起訴に。2011年より此花学院高(現大阪偕星学園高)の監督に就任。2015年春の大阪府大会準優勝に導いた。

(取材・文=谷上史郎)

※この文面は、『野球太郎No.015 2015夏の高校野球大特集号』より、一部抜粋しております。詳しくご覧になりたい方は、是非とも本誌をお買い求めください。

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