日本ハムは陽岱鋼(巨人)のFA移籍と村田透(元インディアンズ)の新加入にともなって、以下3選手の背番号変更・決定を発表した。
斎藤佑樹:背番号18→1
岡大海:背番号31→18
村田透:背番号31
日本ハムでは近年、「背番号1は主に中堅手」というイメージがあっただけに今回の「斎藤・背番号1」はちょっとしたサプライズだ。
本来なら外野手の岡大海が「1」を引き継ぐのが順当だった気もするが、漫画「エースをねらえ!」の主人公と同じ名前の岡をエースナンバーである「18」にするあたりが面白い。
昨季、1軍で未勝利だった斎藤佑樹は、新しい背番号で心機一転となるのか? 日本ハム歴代の「背番号1」の選手を振り返って、今後の比較材料としてみたい。
※日本ハム以前の前身球団は除く
大下剛史(1974年)
菅野光夫(1975年〜1985年)
広瀬哲朗(1986年〜1998年)
阿久根鋼吉(1999年〜2003年)
大下剛史は日本ハムとしての「初代背番号1」の選手だが、今となっては「広島の選手、コーチ」の印象が強い。
菅野光夫は選手、コーチとしても日本ハムひとすじの好選手。コーチ退任後は鎌ヶ谷の選手寮の寮長としても球団に貢献した。
現役引退後にタレント活動もしていた広瀬哲朗は、「日本ハム背番号1=ファンサービスのパフォーマー」の起源かもしれない。今でも広瀬の応援歌「男はつらいよ」のテーマ曲が強く印象に残る。
SHINJO(2004年〜2006年)
メジャーから日本球界に復帰したSHINJOの在籍3年間はきわめて濃密。
個性的なファンサービス、球宴史上初となる単独本盗、ストライキ明け直後の走者追い越し・サヨナラ「柵越え」単打、そして開幕直後の引退表明と日本一を達成しての引退……。
SHINJOの残したファンサービスという財産は、今なおチームに息づいている。
森本稀哲(2007年〜2010年)
陽岱鋼(2013年〜2016年)
※2011年、2012年は欠番
SHINJOから指名を受けて「背番号1」を受け継いだ森本稀哲は、ファンサービス、外野守備、つなぎの野球と後継者としてあらゆる面で奮闘した。
昨季まで「背番号1」をつけていた陽は、以前の番号だった「24」時代がちょっと思い出せないくらい「1」が似合っていた。栗山英樹監督に「日本一」と評されるその守備力は、チームの危機を何度も救った。
移籍先の巨人でも、変わらぬ活躍を見せてほしい。
文=サトウタカシ (さとう・たかし)