兄弟で活躍した助っ人外国人コンビといえば、1970年代後半から80年代中盤にロッテで活躍したレロン、レオンのリー兄弟だ。まず1977年に兄のレロンがロッテに入団。いきなり本塁打王、打点王を獲得。翌1978年に弟のレオンもロッテに入り、兄弟で中軸を担った。
1980年にはレロンが打率.358(首位打者)、33本塁打、90打点。レオンが打率.340、41本塁打、116打点と結果を残し、チームの前期優勝に貢献した。1982年限りでレオンが大洋へ移籍したため兄弟でロッテに在籍したのは5シーズンだったが、この間に有藤道世(現・通世)、張本勲、落合博満ら大打者とクリーンアップを形成している。
このリー兄弟の活躍には音楽業界も目をつけた。2人は「リー・ブラザーズ」として「ベースボール・ブギ」というレコードをリリース。そのジャケットは当時人気だったブルース・ブラザーズを彷彿とさせる、黒いスーツに黒い帽子、サングラスというファッションだった。
その後、レロンは1987年までロッテでプレー。通算打率.320は、通算4000打数以上の打者ではNPB歴代1位の数字だ。一方、レオンは1983年以降、大洋、ヤクルトとセ・リーグでプレーした。
なお、レオンの息子、デレク・リーはカブス時代の2005年にナ・リーグ首位打者を獲得している。
1992年、それまで2年連続でセ・リーグ最下位に低迷を続けていた阪神が、久しぶりに躍動した。その原動力となったのがジェームス・パチョレック、トーマス・オマリーの外国人コンビだ。
パチョレックは1988年に大洋(現DeNA)へ入団。1990年には首位打者を獲得するなど大洋在籍4年間で4年連続打率3割超と、シュアなバッティングで活躍した。
オマリーも1991年に阪神へ入団すると、打率.307、21本塁打とチームが低迷する中奮闘。そして1992年、パチョレックが阪神へ移籍し「3番・パチョレック、4番・オマリー」と3、4番コンビを組む。亀山努、新庄剛志ら若手も台頭したこともあり、チームは快進撃を続けた。
後半戦に入ってからは「3番・オマリー、4番・パチョレック」と打順が入れ替わり、ヤクルト、巨人との三つ巴の優勝争いを繰り広げる。
惜しくも優勝こそ逃したが、阪神は1986年以来となるAクラス入りを果たし、パチョレックは打率.311、22本塁打。オマリーは打率.325、15本塁打。そして、出塁率.460で最高出塁率のタイトルを受賞した。
楽天で活躍した外国人選手として印象深いのは、初の日本一となった2013年のアンドリュー・ジョーンズとケーシー・マギーだ。
ジョーンズはMLB時代の2005年に本塁打王と打点王を獲得するなど、通算434本塁打、さらには10年連続ゴールドグラブと活躍。全盛期は過ぎたものの、超大物選手の入団に多くのファンが驚いた。
シーズンに入ると「4番・ジョーンズ、5番・マギー」と中軸を形成。ジョーンズがリーグ最多の105四球で後ろへつなぎ、そのチャンスでマギーがランナーを還すという攻撃パターンで得点を挙げた。
エース・田中将大(ヤンキース)の負け知らず快投を見せるなか、この2人の助っ人が打線を引っ張り、楽天はリーグ優勝。CSも勝ち上がり、日本シリーズでは巨人を4勝3敗で下し初の日本一に輝いた。
この年、ジョーンズは26本塁打、94打点。マギーは打率.292、28本塁打、93打点と結果を残した。今季のペゲーロ、ウィーラー、アマダーが、この年のジョーンズとマギーのような活躍ができるかどうかが、好調・楽天の今後を大きく左右する。
文=武山智史(たけやま・さとし)