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かつては「花の都・大東京」で大暴れ! 日本ハムの東京ドーム時代を振り返る!

かつては「花の都・大東京」で大暴れ! 日本ハムの東京ドーム時代を振り返る!

 7月31日のソフトバンク対日本ハムは、ソフトバンク主催の「鷹の祭典」の対象試合。東京ドームを舞台に観客はソフトバンク一色に染まった。

 しかし、日本ハムファンである筆者からすると、少し複雑な思いもある。なぜなら東京ドームはかつて日本ハムの本拠地だったからだ。

 過去の歴史を忘れないためにも、ここで日本ハムの東京ドーム時代を振り返ってみよう。

高田繁、近藤貞雄、土橋正幸監督時代(1988年〜1992年)


 本拠地を後楽園球場から東京ドームに移転した直後のこの時代は、「国内初のドーム球場」という集客効果によって、観客動員数が以前と比べてほぼ倍増。

 これで成績もともなえばよかったのだが、3位が1回(1988年)、勝率5割超えが1回(1990年)であとは安定のBクラス。残念ながら「新規顧客」に強い姿を見せることができなかった。

 この時代の主な助っ人外国人には、イースラー、デイエット、ブリューワ、ウインタース、ベイスらがいた。

大沢啓二、上田利治監督時代(1993年〜1999年)


 東京ドーム時代で一番輝いていたのがこの頃。「大沢親分」こと大沢啓二監督が再び指揮を執った1993年は、優勝した西武にあと一歩まで迫る2位。

 「ええで節」でおなじみの上田利治監督時代の1996年と1998年は、両年とも前半戦をハイペースで勝ち進み首位ターンするも後半に失速して2位。特に1998年は「ビッグバン打線」と呼ばれた強力打線でパ・リーグを暴れまわった。

 この時代の主な助っ人外国人には、グロス、ウインタース、シュー、ブリトー、ウィルソン、ブルックス、オバンドー、シュールストロムらがいた。


大島康徳、ヒルマン監督時代(2000年〜2003年)


 東京ドームの開場から10年以上経過して、観客動員数も年々減少。成績もパッとしないことから、2002年頃から本拠地の移転構想が持ち上がった。

 球団初の外国人監督であるヒルマン監督が指揮した2003年は、東京ドーム最終年で成績は5位。しかし、この年にヒルマン監督が体現した「スモールベースボール」が、翌2004年のAクラス、さらに2006年の日本一となって花開くこととなる。

 この時代の主な助っ人外国人には、ミラバル、ウィルソン、オバンドー、クローマー、エチェバリアらがいた。

 北海道に根を下ろした現在でも、日本ハムは東京ドームを準本拠地としており、今季も7試合で主催ゲームを開催している。

 今と比べるとちょっと粗削りかもしれないが、それでいて味のあった野球を見せていた在京時代。貴重な歴史の1ページとして記憶に残してもらえると幸いだ。


文=サトウタカシ (さとう・たかし)

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