【この記事の読みどころ】
・ウエートで肉体改造し、3拍子揃ったアスリートに変身した
・脅威のティー打撃と遠投、そして溢れ出る「快活オーラ」にプロでの成功を確信!
・「目付け」と「雁ノ巣の風」がプロでの活躍、“トリプルスリー”の源
柳田との出会いは今から約5年前となる2010年8月。当時、柳田は広島経済大の4年生。約2カ月後に迫った2010年ドラフト会議の指名候補に挙がっていた広島六大学リーグを代表するスラッガーに取材を申し込み、練習日の野球部グラウンドを訪ねた。
対面を果たし、真っ先に目を奪われたのは、ノースリーブのシャツからのぞく黒く日焼けした逞しい二の腕と贅肉を一切感じさせない均整のとれたド迫力ボディーだった。聞けば、広島商高時代は身長こそ180センチ近かったが、体重はわずか68キロだったという。
取材記事に掲載する写真撮影のため、ティー打撃をしている柳田の側でカメラを構えたところ、ファインダー越しに釘付けになってしまった。硬式ボールが割れてしまいそうな破壊的な音を立てながら前方のネットに突き刺さっていく。これほどまでの強烈なインパクト音を耳にしたのは、ライターという仕事に就く以前に、元南海ホークスの門田博光氏のティー打撃を至近距離で目撃して以来のことだった。
シートノック時の外野からの本塁送球も圧巻だった。リリースしたボールが重力に逆らうように、この世で限られたものしか投じえない、と思われる低空弾道で地面と平行に突き進んでいく。NTT西日本時代の藤井敦志(現中日)の遠投、キャッチボールを初めて間近で見た時と酷似した衝撃だった。
当時、広島経済大学の監督を務めていた龍憲一氏(元広島ほか)の柳田評は次のようなものだった。
「足と肩に加え、タフさ、力強さ、馬力を備えているところなんかは糸井嘉男(現オリックス)を連想してしまいます。速い足をより生かす走塁技術、走塁勘も備えている。ディフェンス面、走塁面は今すぐにでもプロで通用すると思います。
プロの世界に入った時に課題となるのは間違いなくバッティング。広島六大学リーグでは何度も首位打者を獲っていますが、センターから左方向への打球が弱く、逆方向のスタンドまで届かない。そしてプロレベルのボールを打ち返す対応力には改善の余地が多分に残っている。最初からすんなりとは打たせてもらえないでしょう」
柳田もプロの道に進んだ場合の課題はバッティングであることを十分自覚していた。
「反動を使った打ち方をしなくてもすむよう、さらにスクワットを中心としたウエートトレーニングで下半身を鍛えたい。今後は体重を95キロ付近にしたいと思っています」
約1時間に及んだこの日のインタビュー。練習中に驚かされた底知れぬポテンシャルはもちろん印象に残ったが、最も強く印象に残ったのは、初対面とは思えぬフレンドリーな対応と人を惹きつける笑顔、そして体全体から放たれていた前向きな「快活オーラ」だった。ライター稼業を始めて以来、これほどまでに話していて気分がよくなる選手には出会ったことがなかった。プロに進んでも、首脳陣や先輩選手にさぞや可愛がられるだろうなと思った。
インタビューが終わらぬうちに筆者の中にある想いが湧き上がった。カンと言ってもよかった。
「この選手、絶対にプロで成功する。必ず一流になるわ」
取材をしただけでそんな風に思えたドラフト候補生は柳田が初めてだった。人気抜群のスター選手としてファンに囲まれながら、眩いばかりのスポットライトを浴びている光景がリアルにイメージできた。
インタビューの最後、柳田は未来への抱負を次のように語ってくれた。
「ホームランもそこそこ打てて、打率も残せて、守れて、盗塁もできて……。全部できちゃう選手を目指していきます!」
2014年の秋、プロ4年目で本格覚醒を遂げた柳田を取材する機会に恵まれた。柳田は4年前の取材のことをしっかり覚えてくれていた。体重はドラフト前に公言していた95キロに達し、ボディーの迫力はさらに増していたが、フレンドリーな口調と少年のような笑顔はドラフト候補生だった大学時代となんら変わっていなかった。
ソフトバンクからドラフト2位指名を受け、プロに入団した柳田のその後はずっと気になっていた。ウエスタンリーグや1軍の公式戦を生で観戦する機会を作りながら、「柳田の今」を確認することは仕事を超えた大きな楽しみのひとつだった。
プロの世界に入り、苦しんだのは案の定と言うべきか、バッティングだった。ファームの投手には1年目から対応でき、当たればとてつもない飛距離のホームランを放つが、1軍の投手が投じる「ストライクからボールになる変化球」の見極めが苦手だったことが1軍定着を阻み続けた。しかし、年数を追うごとに少しずつではあったものの、ボール球を振らされる割合は減っていった。
「実際に打席に立って、いろんなピッチャーのいろんな球を自分の目で見て、肌で感じながら、対戦を繰り返す中で、少しずつ、年々バットが止まるようになり、ボールを見逃せるようになった感じです」
2014年の交流戦からはピッチャーがリリースした瞬間のボールの位置で、その後の投球軌道を予測する「目付け」と称する独自の世界を確立。4年目でのブレイクにつなげた。
4年ぶりのインタビューで柳田にどうしても聞きたいことがあった。4年前、大学の監督から「左方向への打球が弱く、逆方向のスタンドに届かない。巨人の阿部慎之助選手のようにレフトへも叩き込めるバッターにならなきゃ」と言われていたが、いつしかプロの世界でもガンガン逆方向にスタンドインさせることができるバッターになっている。その変化の裏で、いったいなにがあったのか。
筆者の疑問に対する柳田の答えは意外なものだった。
「ホークスの2軍本拠地の雁ノ巣球場って、レフトフライを打ち上げれば風に乗って、そのままスタンドに運んでくれるような強い風がレフト方向に吹くことが多い球場なんです。2軍時代にレフト方向へ大きいフライを上げればホームランが増えるなと思い、どうやったらそういう打球が打てるのかを模索し続けたんです」
バットを内側から出してボールにスライス回転をかけるようなイメージを持つとレフトへ大きなフライが上がりやすいことに気づいた。大学時代よりもパワーが増していたこともあり、いつしか風などなくても反対方向のスタンドまで運ぶことができるようになっていた。
「嬉しかったのは、レフトへフライを打つことを意識することで正しく内側からバットを出す感覚が身につき、結果的に全方向に飛距離が出るスイングが手に入ったこと。もしも2軍の本拠地が雁ノ巣球場じゃなかったら? 今のぼくは間違いなくなかったと思います」
今季は初の首位打者に加え、球団初となるトリプルスリーを達成し、さらなる高みへ駆け上った感のある柳田悠岐。その稀有な才能が導くピーク地点は未だ見えない。
文=服部健太郎(はっとり・けんたろう)
1967年生まれ、兵庫県出身。幼少期をアメリカ・オレゴン州で過ごした元商社マン。堪能な英語力を生かした外国人選手取材と技術系取材を得意とする実力派。少年野球チームのコーチをしていた経験もある。