甲子園大会を語る上で欠かせない音楽「栄冠は君に輝く」。この曲とTUBEの数々のメロディは「日本の夏音」の代表曲といって間違いない。そのTUBEが先日、重大発表を行った。毎年夏に開催してきた阪神甲子園球場でのライブを、25回目となる今年9月23日の公演をもって終了することを発表したのだ。
現在、甲子園球場でコンサートを行っているのはTUBEだけ。やはり「甲子園球場=野球、高校野球の聖地」ではあるが、その広大なスペースと最先端の設備を利用して、これまでに様々な用途で使われてきた歴史を持つ。そこで本稿では「野球以外の甲子園球場史」を振り返ってみたい。
1924年8月1日に竣工式を行った甲子園球場。竣工式に引き続き、球場を使った初めての催しが開かれた。それが「阪神間学童体育大会」という陸上大会だ。大阪、神戸など、阪神間にある150の小学校から2500人の児童が集まって開催され、スタンドには1万人を超える父母や応援児童の歓声が響いたという。
高校野球のメッカが甲子園であるように、高校ラグビーには花園ラグビー場、高校サッカーなら国立競技場、と各競技にはそれぞれ「聖地」と呼ばれる場所がある。ところが、過去を遡ると、ラグビーもサッカーも甲子園球場で全国大会が開催されていた。ラグビーは、甲子園開場の翌年となる1925年の第8回大会から中断をはさんで第10回大会まで。サッカーも同様に1925年から1928年まで。現在の全国大会の前身にあたる大会が甲子園球場で開催された。
甲子園球場はもともと、設計段階から「ラグビーなど他のスポーツも開催できるように」という狙いがあり、設計にもその意図が反映された部分がある。それが内野スタンドに設けられた鉄傘(今の銀傘の前身)と外野フェンスの形状だ。
鉄傘は、野球と違って雨でも試合を行うラグビーの観戦ができるように、と設けられた。また、外野部分を有効活用しやすいよう、開場当時の甲子園球場は両翼91メートル、中堅119メートルで、左中間・右中間までは125メートル。外野フェンスがほぼ一直線という変則的な形の球場だった。
現在、ラグビーやサッカーが開催されることはないが、大学アメリカンフットボールの日本一決定戦「甲子園ボウル」が師走の恒例行事として根付いている。
甲子園球場が完成してから5年後の1929年、50段からなる「アルプススタンド」が増設され、瞬く間に甲子園球場の新たな名物になった。そして、このアルプススタンドの下の空間を利用して、一塁側には体育館が、三塁側には長さ25メートルの温水プールが建設された。
年間を通して水温25度を維持できる温水設備、夜間照明、500席の観客席など、当時世界最先端の設備が整っていたこのプールでは、水泳の日本選手権が開催されたこともある。一般開放もされていたため、当時のトップスイマーたちが競技会場や冬場の練習場としても利用していた。
ラグビー、サッカー、水泳……甲子園球場で開催されたさまざまな競技のなかでも特に異彩を放つのがスキージャンプ大会だろう。1938年と1939年に行われ、左中間スタンドには高さ40メートルのジャンプ台が設置された。雪はどうしたのか? といえば、長野県に「雪の買い出し部隊」を派遣し、電車とトラックによるピストン輸送で開催にこぎつけた。
また、“意外な催し物”といえば、1939年に開催された歌舞伎だ。二塁ベース後方に大舞台が設置され、グラウンドの芝生の上に座布団を敷いた特別指定席を設置。野球のメッカは歌舞伎ファンで大きな賑わいを見せた。
このように、周囲の度肝を抜くような意外な催しものが多数開催された過去を持つ甲子園球場。人を惹きつけてやまない不思議な魅力がある限り、これからもさまざまな催し物が開催され続けるはずだ。