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巨人の「6」は名内野手のナンバー! 改めて振り返りたい名門・巨人軍の背番号の重み


 プロ野球開幕に胸躍らせるこの時期、残念なニュースが飛び込んできた。名門球団・巨人軍が関与した、一連の野球賭博に関する報道だ。

 日本プロ野球創生期から「球界の盟主」として君臨してきた巨人軍。偉大な先達たちが築いてきた歴史と伝統によって、その絶大なる人気は現在も継承されている。

 例えば、背番号について。1965年〜1973年のV9時代は、長嶋茂雄の背番号「3」と王貞治の「1」を身につけたいと、日本中の野球少年たちが考えていた。その少年たちが大人になっても、ジャイアンツを応援し続けているのだ。

 そんな重みのある巨人軍の背番号のなかから、本稿では「6」を取り上げたい。この番号は1965年から50年以上にわたり、一貫して内野手が身に着けてきた。

土井正三、篠塚利夫と名二塁手の代名詞に


 その歴史はV9時代の二塁手・土井正三からスタート。土井は入団から現役引退まで14年間ずっと「6」を背負い、5度のリーグ最多犠打を記録。さらに二塁手としてベストナイン2度、引退年の1978年にはダイヤモンドグラブ賞を獲得。1969年の日本シリーズ・阪急戦で、捕手のブロックをかいくぐって生還した「奇跡の走塁」は語り草である。

 土井の後は篠塚利夫(1992年から和典に改名)が引き継いだ。1979年、それまでの「37」から「6」に変更され、94年の引退まで17年間背負い続けた。流し打ちが持ち味のヒットメーカー、また華麗なフィールディングで魅せる二塁手として名を馳せ、80年代の球界を代表するプレーヤーのひとり。今も「篠塚モデル(後継も含む)」のバットやグラブを使用している選手も多い。


篠塚以降は外様の大物が多く身に着け、現在の坂本勇人へ継承


 篠塚の引退後は落合博満(1995〜1996年)、石井浩郎(1997〜1999年)、小久保裕紀(2004〜2006年)と、他球団から獲得したスラッガーが名を連ねる。このうち小久保は4番打者を務めるだけでなく、2006年には移籍組で初の主将就任を果たした。

 また、スラッガータイプ以外にも川相昌弘(2000〜2003年)、小坂誠(2007〜2008年)といぶし銀タイプの内野手が「6」を背負ってきた。

 2009年からは坂本勇人が身に着けている。大型遊撃手の坂本は先代の誰ともタイプは被らないが、大きな番号からの変更は篠塚と同様(坂本は2007年から2年間「61」を背負った)。さらに今季から主将に就任したが、これは小久保と被る。選手としてのタイプは被らなくても、坂本には先代との共通点があったのだ。

 今、グラウンド外における巨人を取り巻く逆風は強い。せめてフィールド内では背番号「6」のプレーに一喜一憂したいものだ。

文=加賀一輝(かが・いっき)

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