甲子園への出場を目指し、熱戦続く各地方大会。今日、甲子園出場校が決まる地区も多い。注目が集まる高校野球の中でも、特に注目を集めている存在といえば、西東京・早稲田実業の清宮幸太郎だ。1年生らしくない落ち着きと、打撃技術を発揮し、準決勝の日大三戦では先制点かつ決勝点となった2点タイムリーを放ち、チームを勝利に導いた。本日26日の11時から神宮球場で行われる予定の、西東京大会決勝戦も新スターの勇姿を一目見ようと、大勢の観客で湧き上がるに違いない。
今年、100周年を迎えた高校野球。その過程では、清宮のようなスーパー1年生が数年置きに登場し、高校野球・甲子園を盛り上げてきた。そんな歴代の「スーパー1年生」の中から、特に印象的な投手を取り上げたい。
(※年齢の違いがあるため、本稿では学制改革以降の1年生を対象としている)
1960年夏、名門・浪商の1年生エースとして甲子園に登場したのが「怪童」と呼ばれた尾崎行雄(元東映ほか)だ。その投げっぷり以上に、甲子園2回戦で対戦した法政二の2年生エース・柴田勲(元巨人)との投げ合い(1960年夏以降、3季連続で対戦)が甲子園史に残る名勝負として語り継がれている。
1977年夏の甲子園で、全5試合を投げ、東邦の準優勝に貢献したのが坂本佳一。華奢な体格ながら、ひたむきに投げ続ける姿は「バンビ」の愛称で親しまれた。昨年、東邦の藤嶋健人が同様に1年生として甲子園のマウンドを踏んだことで「バンビ2世」と話題を呼んだ。
1980年夏に一世を風靡したのが早稲田実業の荒木大輔(元ヤクルトほか)。地方大会は控えだったが、エースの故障で主戦投手に。1回戦で完封勝利をおさめて甲子園デビューを飾ると、決勝戦まで5試合に登板して4完封、44回1/3連続無失点の好投で準優勝。その後も5季連続で甲子園に登場し、“大ちゃんフィーバー”と呼ばれる人気を博した。
同級生の清原和博とともに激戦区・大阪大会を勝ち抜く原動力となったのがPL学園の1年生エース、桑田真澄(元巨人ほか)だ。1年夏の甲子園準決勝では3季連続優勝を目指していた最強軍団・池田と対戦した。“やまびこ打線”をわずか5安打完封、自身も本塁打を放ち、「これからはPLの時代」と言わんばかりかの快勝。その勢いのまま夏の栄冠を手にした。4月1日生まれの桑田はこの時、15歳。今後も破られることのない、史上最年少優勝投手(学制改革以降)の記録も作っている。