7月26日、福島大会の決勝戦が行われ、聖光学院が日大東北を3−2で下し、戦後では最長記録となる9年連続での甲子園出場を決めた。
昨年まで8年連続(2007年〜)で夏の甲子園出場を果たしていた聖光学院。これは、2005年〜2012年まで8年連続で甲子園に出場していた智辯和歌山に並ぶ、戦後における甲子園連続出場のタイ記録。今回、これを抜き、9年連続という金字塔を打ち立てたわけだ。
だが、あくまでも「戦後最長」記録。戦前には14年連続というとんでもない記録を残した学校があった。それが1915年の第1回大会から1928年の第14回大会まで連続出場を果たした和歌山中(現桐蔭高)だ。
高校野球100年の歴史において、最初に「王朝」を築いたのが和歌山中だった。1921年(第7回)と1922年(第8回)には史上初の大会連覇を達成。1927年には春のセンバツでも全国制覇を達成している。
当時の和歌山中の抜きん出た強さを語る上で外せないエピソードが1927年の出来事だ。この年、センバツを制した和歌山中には副賞として夏休み期間中のアメリカ旅行がプレゼントされた。だが、その旅行期間は夏の地方大会と甲子園本大会のスケジュールと完全にバッティング。それゆえ、補欠メンバーを編成して大会に臨まなければならなかった。
にもかかわらず、その補欠メンバーで地方大会を勝ち抜き、見事甲子園出場を果たしたのだからたいしたもの。甲子園では1回戦敗退となってしまったが、彼ら補欠組の活躍があって「14年連続出場」という偉業が生まれたのだ。
また、この14年連続記録の難しさは、当時、甲子園に出るためには県大会を勝ち抜くだけではなく、お隣・奈良県との代表校決定戦を勝ち上がらなければならなかった点も押さえておきたい。
ちなみに、和歌山中の記録を止めたのが同じ和歌山の海草中(現向陽高)。1929年の第15回大会に初出場を果たすと、いきなり準優勝。1939年(第25回大会)と1940年(第26回大会)では大会2連覇を達成するなど、当時の和歌山県の野球レベルの高さを見せつけている。
さて、9年連続出場を果たした聖光学院に話を戻そう。福島県下ではこれほど長期にわたる「王朝」を築きながらも、甲子園ではベスト8(2008、2010、2014年)が最高成績。念願のベスト4進出、そして東北勢悲願の初優勝にも期待がかかるはずだ。注目の組み合わせ抽選は8月3日に行われ、そして甲子園本大会は8月6日に幕が開く。