各地で幕を開けた今夏の高校野球。長い歴史のなかで起きた各地区の選手権大会の珍事件、トリビアを紹介したい。
第1回の夏の全国高等学校野球選手権大会が開催されたのは、遡ること1世紀前の1915年。当時の中学野球(現在の高校野球)の雰囲気はまさにバンカラだった。グラウンド内はともかく、応援団がとにかくヒートアップしていた。
野球黎明期を切り開いた野球の父・中馬庚をもってしても、新潟中(現・新潟)の校長を務めていたとき、自校と対戦相手の応援団が乱闘寸前になり、軍刀を抜いて両軍の間に割って入ったというから、穏やかではない。
そんな状況下で端から荒れたのは山陰勢だ。1915年夏、大阪・豊中球場で第1回の全国中等学校優勝野球大会が開催されることが決まったものの、山陰勢は1枠。当然、鳥取県と島根県で代表を決めなくてはならない。しかし、代表決定戦はなかなか開催されなかった。
事の発端は2年前の山陰大会。米子中と松江中のカードで試合前から両軍の応援団が乱闘を繰り広げ、松江中が棄権する事件が起こった。そこから両県の関係は悪化し、乱闘必至のムードが漂っていた。
結局、両県は妥協案として、中立地帯での開催を決定。全国大会開幕の3日前に本会場と同じ、大阪・豊中球場で代表決定戦を行い、5対2で鳥取中(現・鳥取西)が杵築中(現・大社)を下した。
今年は梅雨らしい梅雨になり、太平洋高気圧の張り出しが弱く、7月としては涼しい日が続いているが、近年は気温上昇による熱中症が問題になっている。登録人数ギリギリのチームが熱中症により、9人を割り、没収試合になるケースも少なくない。しかし、人数が揃っていても熱禍に襲われる場合もある。
大惨事になったのは、2011年7月10日にマツダスタジアムで行われた広島大会1回戦、井口対広島工大高のカード。7対7で延長13回までもつれた熱戦だったが、猛暑のために続々と選手がダウン。井口は4人、広島工大高は8人が戦線離脱し、うち8人が救急搬送された。
結局、13回裏終了時点で広島工大高の選手が8人になってしまい試合を棄権。ベンチメンバーが20人揃っていても、選手交代4人、熱中症8人で涙を呑んだ。この幕切れと近年の猛暑を鑑みると、「ベンチ入り20人」についても再考が必要な気候になっているのかもしれない
ちなみに両校は8月にあらためて引退試合を開催。不完全燃焼の夏を吹き飛ばした。
昨夏、初の夏甲子園行きを果たした奈良大付。奈良大会決勝は延長11回、10対9のサヨナラ勝ちで天理を下したが、9回に珍しい勘違いもあった。
9回表、奈良大付の2点リード、天理の攻撃で2死満塁の場面。打球はセンター前のヒットに。まずは走者が一人生還し、1点差。しかし、奈良大付の中堅手は一塁走者の三塁進塁を見逃さずに三塁に送球。タッチアウトに仕留めた。
二塁走者の2点目のホームインが早ければ同点。タッチアウトが早ければ、奈良大付の勝利。ここで主審は指を一本立て、記録員に指示を送った。
しかし、この動作は「ホームイン」のサイン。これを奈良大付の選手は「1点止まり」と読み取り、歓喜の輪ができた。もし敗れていれば、とんだフライングだったが、見事にサヨナラ勝ちを収め、笑い話になった。
奈良大付と天理のカードは何かが起きることで有名。2013年夏の3回戦では、こんな珍事件も起きている。
1回裏、天理の攻撃、2死一、二塁の場面で奈良大付の投手が暴投。捕手が振り向いた瞬間、主審と交錯し、ボール袋から新球がポロリ。本来のボールはバックネット裏を転がっていたが、奈良大付の捕手は新球を拾う。天理の走者はこれを見逃さず、本塁に突入。もちろん、奈良大付の捕手はタッチ。しかし、アウトにならない…!
と、いうよりは審判は判定を下せない。ボールが2個に増えることはルールで想定されていないからだ。最終的にインプレーではなく、2死二、三塁で試合は再開した。
振り逃げやインフィールドフライなど、ルール内での事件は多かれど、ルール外に飛び出してしまう珍プレー。実力とともになかなか予測のつかないカードである。
文=落合初春(おちあい・もとはる)