2019年に入り、平成もいよいよ残すところ数カ月。「平成最後の」というフレーズがすっかり耳に馴染んでいるが、新しい元号がどんなものになるのか楽しみである。
とはいえ人生の8割以上を平成で過ごしてきた筆者としては、新元号へのカウントダウンが進むにつれて一抹の寂しさも……。と、そんな手前勝手な心を紛らわすためにも、ここでひとつ「週刊野球太郎」的な平成の野球史を振り返りたい。
その名も「平成の○○王はあの男だ!」。今回は投手編をお届けする。
プロ野球ではさまざまな記録が打ち立てられてきたが、平成に入ってから生まれたカテゴリーもある。1996(平成8)年にパ・リーグが採用した「ホールド」がそれ。
今やあって当たり前の指標だが、アメリカに遅れること10年、日本でも投手の分業制が進んだことで取り入れることになった。
そんな「平成のホールド王」は……宮西尚生(日本ハム)!
2008(平成20)年からの11年間で294ホールドを稼ぎ出したその姿は、中継ぎに光が当たった平成野球の象徴とも言える。
ちなみに2位の山口鉄也(元巨人、273ホールド)、3位の浅尾拓也(元中日、200ホールド)がともに引退してしまったため、しばらくは誰も近づけない孤高のホールド王だ。
先発投手に贈られる最大の栄誉とも言える沢村賞。平成に入って23人が受賞してきたが、1度受賞するだけでも困難な賞に3度も輝いた大投手がいる。
今明かされる「平成の沢村賞王」は……斎藤雅樹(現巨人1軍投手総合コーチ)!
奇遇にも平成元年にあたる1989年に20勝7敗、防御率1.62、182奪三振という圧巻の成績で初受賞を果たすと、1995(平成7)年(18勝10敗、防御率2.70、187奪三振)、1996(平成8)年(16勝4敗/防御率2.36/158奪三振)と2年連続で受賞した。
ちなみに2年連続での受賞は、2017(平成29)年と2018(平成30)年に菅野智之(巨人)が達成するまで誰も手が届かなかった。無敵を誇ったNPB晩年の田中将大(ヤンキース)も成し遂げていないところに、価値の高さがうかがいしれる。
「野球の華はホームラン」とはよく聞くが、投手にとっての華は奪三振だろう。近年は則本昂大(楽天)がパ・リーグの最多奪三振のタイトルを5年連続で獲り続けるなど、独占禁止法もびっくりの状態だ。
もちろん奪三振率(1試合を完投したと仮定した場合の平均奪三振数)においても則本は現役最高だが、平成の野球史をひも解くとこの奪三振率で唯一則本を超える選手が存在のがわかる。
現代の剛球王すら追いやる「平成の奪三振率王」は……野茂英雄(元近鉄ほか)だ。
平成元年のドラフト1位で近鉄に入団すると、渡米するまでの5年間で1204奪三振を奪う離れ業を披露。奪三振率は10.31という歴代唯一の10点台を叩き出している。
則本の実働6年で1178奪三振、奪三振率9.40という記録も“生けるレジェンド”と言って差し支えないだろうが(次点は杉内俊哉[元巨人ほか]の2156奪三振、奪三振率9.28)、その上をいく野茂の奪三振ぶりには、ただただ脱帽するしかない。
プロ野球の振り返りというと王貞治、長嶋茂雄(ともに元巨人)が並び立ったON時代が絡んでくるため、「平成」というくくりだけで見るということがあまりなかったように思う。
そんななかで本稿の下調べをしていると、平成元年を境に活躍する選手が変わっていったように見えた。時の流れはとめどなくとも時代の区切りというのは確実にある、そう感じずにはいられなかった。
そうなると新元号とミレニアム世代の1期生のプロ入りが重なったことが、偶然ではないように思えてくるから不思議だ。
何十年かあとに、根尾昂(中日)、藤原恭大(ロッテ)、吉田輝星(日本ハム)らのムーブメントを振り返るのが今から楽しみである。
次回は野手編をお届け!
文=森田真悟(もりた・しんご)