11月に入り、日米野球を除き公式戦は終了。プロ野球は秋季キャンプ、FA移籍、新外国人選手の獲得などの話題がメディアを賑わせている。また、ドラフトで指名された選手たちの入団交渉も始まっている。来シーズンの新人もアマチュア時代、幼少時代は「怪童」と呼ばれる存在だったはず。もちろん、現役の選手もそうだろう。そんなプロ野球選手の怪童時代を振り返ってみたい。
愛読書が『論語と算盤』や『思考の整理学』と知れ渡ると、またたく間に増刷が決定するなど、その影響はとどまることを知らない根尾昂(大阪桐蔭高→中日1位)。少年時代から、文武両道として知られた存在だった。
根尾の出身地が岐阜県飛騨市であることは有名だが、バッティングセンターは富山県まで通っていたという。もちろん少年時代のことなので、およそ1時間をかけて父親の車で通った。このように父親の協力があってこそ、根尾の土台は築かれていったのだ。
根尾が憧れの選手として名前を挙げるイチロー(マリナーズ会長付特別補佐)もまた、根尾と同じように父親とバッティングセンターに通っていた。年間で360日は野球の練習に励み、バッティングセンター代に1カ月で5万円以上も費やしたという。メジャーリーグで3000安打以上放ち、日米通算では4367安打(2018年シーズン終了時点)を記録したイチローもその土台は父親の協力のもと、少年時代に出来上がっていたのだろう。
これから時代を創ることになりそうな根尾、そして時代を創ってきたイチロー。それは、自分ひとりの力ではなく、幼い頃から家族を始めとしたまわりの協力があったからこそのものだ。
11月1日に30歳の誕生日を迎えた田中将大(ヤンキース)。甲子園、プロ野球、そしてメジャーリーグで数々の実績を残してきた、ということはいまさら語るまでもないだろう。
田中は少年時代に昆陽里タイガースで坂本勇人(巨人)とチームメートだった。当時は坂本が投手、田中が捕手としてバッテリーを組んでいたことは有名だ。
少年野球では運動神経のいい子どもが、投手や遊撃手を任されることがよくあり、坂本もそれにならった形だ。さらに坂本は両打ちだった。しかし、練習していたグラウンドの特性上ライト方向が広く、左打ちでは本塁打とならなかったために、右打ちに専念したのである。
少年時代に右打ちから左打ちに変えた選手といえば松井秀喜(元ヤンキースほか)も有名だ。もともと右利きである松井秀喜は右打ちだったが、規格外の打球を飛ばすことから、兄の利喜さんから左打ちへと変更させられている。
坂本、松井秀喜という名選手の右打ち、左打ちは幼少期のちょっとしたことで決まっていたのである。もし、坂本が両打ちのままであれば、松井稼頭央(元西武ほか)のような存在となっていたかもしれない。また、少年時代とはいえ「飛ばしすぎ」だった右打ちの松井秀喜がそのままプロに入ったならば、どうなっていたのだろうか。
今シーズン、最下位に終わり来シーズンの巻き返しを図りたい楽天。石井一久GMの構想なのか、大幅に選手、コーチ陣の入れ替えが行われている。聖澤諒や枡田慎太郎らが戦力外となるなど、厳しいが冬が始まっている。
まさに生まれ変わろうとしている、といったところだろうか。そんなチームで将来のエースとして期待されているのが藤平尚真だ。横浜高のエースとして甲子園にも出場。2016年のドラフト1位で楽天入りを果たすと、1年目から3勝(4敗)をマーク。今シーズンは4勝(7敗)と伸び悩んだものの高卒2年目としては十分な成績を残している。
そんな藤平には中学生時代にジュニアオリンピックでの優勝実績がある。しかも、その競技は走り高跳びだ。なぜ、陸上の大会に出たかというと、通っていた中学校には陸上部がないため、学校単位で出場する陸上大会に学校代表として選ばれたから。もちろん、普段は野球が中心なので、陸上は大会前に短期間練習するだけ。それでジュニアオリンピック優勝を勝ち取るのだから、身体能力の高さには恐れ入る。その後、横浜高に入学してからは野球一本に戻ったわけだが、陸上で推薦の話もきていたという。もし陸上競技を続けていたら、2020年の東京オリンピックで金メダル候補となっていたかもしれない。
根尾やイチローの家族からここまでの協力が得られなかったら……。坂本や松井秀喜が打ち方を変えていなかったら……。藤平が野球に絞っていなかったら……。
スター選手の多くは少年時代から「怪童」と呼ばれていたことだろう。しかし、きっかけひとつでプロ野球選手になることができなかった可能性もある。
そういった「if」を想像するのも野球の楽しみ方の一つだ。
文=勝田聡(かつた・さとし)