360°モンキーズといえば、フジテレビ系『とんねるずのみなさんのおかげでした』の人気企画「博士と助手〜細かすぎて伝わらないモノマネ選手権〜」での“外国人選手モノマネ”で人気のコンビ。特に杉浦さんがくちラッパで奏でる冒頭のヒッティングマーチは、もはや原曲であるランディ・バース(元阪神)以上に、杉浦さんのテーマ曲のように浸透している。
そんなお笑い芸人が、独立リーグとはいえ「プロ野球選手」として契約したのだから驚くほかない。契約した愛媛マンダリンパイレーツは、昨季「四国アイランドリーグplus」の年間総合優勝を果たし、ルートインBCリーグ・新潟アルビレックスBCとのグランドチャンピオンシップも制して「独立リーグ日本一」に輝いた実績のあるチームだ。それだけに、 “杉浦選手”の挑戦は、一部で「話題性先行」「客寄せパンダ」と揶揄されたりもしている。
だが、愛媛・弓岡敬二郎監督はいたって真面目だ。自身が寄稿したあるWebサイトの記事では「僕たちは彼を単なる話題性だけで獲得したのではありません。トライアウトリーグでは、誰よりも熱心に野球に取り組み、入団後も選手としての活動をメインにすると聞いています」(現代ビジネス)と、あくまでも「戦力のひとり」として期待していることを記している。
ちなみに杉浦さん、「帝京高校野球部出身」とはよく知られたエピソード。だが、野球部でどんな存在だったか、どんな成績だったかはあまり知られていない。そんな杉浦さんの帝京高校時代については、野球太郎でもおなじみの菊地選手が昨年上梓した『野球部あるある3』で詳しく記されている。特に印象深いエプソードを紹介したい。
杉浦さんは1991年に帝京高校に入学。1学年上には1992年春のセンバツ優勝の立役者、大エースの三澤興一(元巨人ほか)がいた。1992年夏、帝京高校は夏の甲子園1回戦で敗退し、三澤世代が引退(※1992年、杉浦さん自身はアルプススタンド組)。新チームが発足すると、エース候補として期待されたのが杉浦さんだった。だが秋季大会前の練習試合で先発を任された杉浦さんは、この試合が「高校最後の登板」となってしまう。
「当時、球だけは速くて140キロくらい出ていたんですけど、とにかくコントロールが悪くて……。フォアボールで満塁にしてしまって、しかもカウント3ボール。ベンチを見たら、監督がこの世のものとは思えない顔をしている。『これはまずいな』と置きにいったボールを満塁ホームランにされたんです」(『野球部あるある3』より、杉浦さんインタビュー)
この大失態をキッカケに交代させられた杉浦さんは、帝京高校・前田三夫監督にユニフォームを脱ぐよう指示され、ベンチに入ることすら許されず、試合中ずっと正座をしていたという。
以降、試合出場はもちろん、練習でも活躍の場は与えられず、バッティングピッチャーをするだけの毎日が続いた。いわゆる「干された状態」だ。そのまま最後の夏、応援席でチームメイトの敗退を見届け、杉浦さんの「高校野球」はゲームセットを告げた。
「今にして思えば、当時はきつすぎました。普通、そんな経験はできませんからね。だから引退した頃には、すっかり野球を嫌いになっていましたね」(『野球部あるある3』より、杉浦さんインタビュー)
こうして帝京高校での野球部時代を終えた杉浦さん。その後、大学生になってから、同じく帝京高校のサッカー部だった山内崇さんと「360°モンキーズ」を結成。長い下積み生活を過ごした後、ようやく掴んだチャンスが2004年、上述した「博士と助手〜細かすぎて伝わらないモノマネ選手権〜」の出演だった。
このとき、最初に披露したネタが、なんと「帝京高校野球部監督前田三夫のノック」のモノマネ。もちろん、メインMCを務めるとんねるず・石橋貴明もまた帝京高校野球部出身、といったバックボーンも大きいだろう。だが、一度は野球が嫌いになったキッカケ、といってもいい前田監督の存在が、芸人として日の目を見るキッカケにもなった、というのがなんとも味わい深いエピソードといえるのではないだろうか。
『野球部あるある3』では、高校時代のモノマネと前田監督の反応、芸人になってからの前田監督との関係性、前田監督自身による「前田三夫のノックモノマネ」評、なども詳しく紹介されているのでぜひ、一読をお勧めたい。ただ「干した」「干された」では終わらない師弟関係の深さを堪能できるはずだ。
ちなみに今回の独立リーグ挑戦、前田監督は「高校の時からプロになると思ってたよ」と笑顔で祝福しているという。前田監督をさらに笑顔にさせる投球をぜひとも公式戦で披露して欲しい。
文=オグマナオト(おぐま・なおと)