今年も幕を開けたセ・パ交流戦。2005年に始まった交流戦も今年で11年目。今季から試合数が従来の24試合から18試合に削減するなど、大きな変更点も注目されている。
やはり、何事も“10年一区切り”。交流戦のジンクスや法則を探るには絶好の機会だ。そこで、これまで10年間の交流戦打撃成績を振り返ると、ある「ジンクス」を発見した。それが、「交流戦首位打者は翌年の成績が落ちる」というもの。過去に交流戦で首位打者に輝いた選手たちの、翌年の交流戦成績をチェックしてみよう。
〈歴代・交流戦首位打者の成績と、翌年の交流戦成績〉
2005年:石井義人(西武)
打率.400
→翌06年は規定打席未満
2006年:松中信彦(ソフトバンク)
打率.408
→翌07年は規定打席未満
2007年:ベニー(ロッテ)
打率.375
→翌08年は規定打席未満
2008年:金本知憲(阪神)
打率.407
→翌09年は打率.244
2009年:?橋信二(日本ハム)
打率.411
→翌10年は規定打席未満
2010年:多村仁志(ソフトバンク)
打率.415
→翌11年は規定打席未満
2011年:坂口智隆(オリックス)
打率.412
→翌12年は規定打席未満
2012年:角中勝也(ロッテ)
打率.349
→翌13年は規定打席未満
2013年:長谷川勇也(ソフトバンク)
打率.418
→翌14年は打率.301
(球団名はすべて当時の所属)
過去10人全員が翌年成績を下げた……どころの話ではなく、10人中8人は規定打席数にすら到達できていないのだ。たとえば、「交流戦男」と言いたくなるほど、毎年この時期に成績を伸ばしていたオリックスの坂口智隆は、交流戦首位打者に輝いた翌年の交流戦の時期に靭帯断裂の大ケガを負うなど、出場機会を奪われる例まで発生している。これはもう「交流戦首位打者の呪い」と言ってもいいほどのジンクスだ。
唯一の例外が昨年3割をキープした長谷川勇也くらい。及第点、と言えなくもないが、交流戦が始まるまではリーグ首位打者を狙える数字を残していたことを考えると、やはり「交流戦の呪い」が作用して成績を落としたのだろうか?
そこで気になるのが、昨季の交流戦首位打者の山田哲人(ヤクルト)だ。昨季は交流戦から一気に成績を伸ばし、日本人右打者のシーズン最多安打(193安打)を記録するなど、ブレイクイヤーとなったのは記憶に新しい。