昨季の日本シリーズでは、「甲斐キャノン」の異名を持つソフトバンクの甲斐拓也が6連続盗塁阻止という離れ業をやってのけ、チームの日本一に大きく貢献し、シリーズMVPを獲得。甲斐自身、そして捕手という存在が大きくクローズアップされた。
甲斐の昨季のレギュラーシーズンでの盗塁阻止率は、12球団トップの.447だったが、過去にはその数字を上回る捕手も多く存在している。ここでは、とくに平成の時代に活躍した名捕手たちをピックアップしていきたい。
年間盗塁阻止率.644という歴代最高記録を持っているのが古田敦也(元ヤクルト)だ。この記録をマークした1993年はヤクルトがセ・リーグ2連覇を達成し、古田は最多安打のタイトルとともにリーグMVPに選出。さらに、前年に続いて西武との対戦となった日本シリーズも制した。
もちろん、強肩が猛威を振るったのはこの年だけではない。デビュー年である1990年から引退する2007年までの現役18年間(最後の2年間は選手兼任監督)で、年間盗塁阻止率リーグトップは実に10回を数える。首位打者の経験もあり、まさに平成を代表する名捕手だった。
現役通算27年(最後の2年間は選手兼任監督)で、歴代最多となる3021試合出場の記録を持つ谷繁元信。年間盗塁阻止率リーグトップは5回。横浜に在籍した最後の年となる2001年には阻止率.543とハイレベルな数字を記録している。
平成になって以降、中日が隆盛を誇っていたのは2004年から2011年までの落合博満監督時代。その8年間で優勝4回、2位3回、3位1回という好成績を続けていたが、そこで扇の要をがっちり守っていた谷繁の功績は大きい。
ダイエー、ソフトバンク時代に4度、渡米してマリナーズでも1度、盗塁阻止率リーグトップを獲得しているのが城島健司だ。
城島もダイエー、ソフトバンクでレギュラーとして活躍した1997年から2005年にかけて優勝3回、2位4回、3位1回、4位1回と安定したチーム成績に大きく貢献している。
自身最高の最高盗塁阻止率は、2002年の.508。またマリナーズ在籍4年目の2009年は、出場試合数がチーム試合数の半数以下の70試合だったため参考記録ではあるものの.537という強肩ぶりを披露した。
星野仙一監督が中日で指揮を執っていた時代(第一次:1987〜1991年、第二次:1996〜2001年)に、守備の要としてマスクをかぶり続けていたのが中村武志だ。
中日に在籍した15年間で盗塁阻止率リーグトップは3回、キャリアハイは.519(1995年)というハイレベルな数字をマークしている。
現役引退後はバッテリーコーチとして横浜(現DeNA)、中日、ロッテ、韓国・起亜と各チームで後進の指導に尽力。今季からは、再び中日の1軍バッテリーコーチに就任した。
文=藤山剣(ふじやま・けん)