◆この連載は、高校時代を“女子球児”として過ごした筆者の視点から、当時の野球部生活を振り返るコーナーです。
女子部員として日々練習に励んでいた私だが、すべてにおいて男子と同じメニューをこなしたわけではない。もともと運動は不得手で、プレーに関しては素人のようなもの。だから、守備練習の複雑な連携プレーからは外れるようにしていた。
ゴロを捕球して一塁や二塁へ投げる通常のノックが終わると、今度は全体がダブルプレーの練習に切り替わる。その光景を、球拾いをしながらラインの外から眺めていた。
セカンドやショートにとっての華といえば、リズムに乗ったダブルプレー。一度に2つのアウトを取り、チームへ勢いを呼び込む。傍から見ていても気分が盛り上がるシーンだ。
私は一度も“ゲッツー”を味わうことができなかった。だからこそ今でも憧れの気持ちが胸にひそんでいる。セカンドとしてノックを受けておきながら、その特権を利用できずに選手生活を終えてしまったことには悔いがある。
だからといって、他の選手のテンポを崩さぬように上手くこなせる自信はない。ただ捕球するだけでない難しさが連携プレーにはあると思うのだ。
その分だけ、プレーする楽しさも大きいのだろう。完成させたときに見せるチームメイトたちの表情は印象的だった。まさに生き生きとしているというか、“輝いて”いる。ショートの位置からベースに入って、送球を終えたチームメイトが、その瞬間キラキラして見えた。その場面が未だに強烈な印象として残っている。
中継プレー以外は大体の守備練習に交ぜてもらっていた私だが、途中から“禁止”の項目がひとつ増えた。それが“内野フライ”の練習だ。
その半年ほど前に、私は入部してから初めてのケガをした。顧問とのキャッチボールで、捕球しそこなった硬球を左目に当ててしまったのだ。診断の結果は眼底打撲で、しばらく別メニューでの調整となった。
ただでさえ唯一の女子として練習しているのに、顔にケガを負ったことで顧問は相当青ざめていた。親から文句を言われるかもしれないし、これがきっかけで辞めるのではないかと思ったらしい。
当の私は、まったくそんなことは考えていなかった。ケガをしたのは単純に自分のミスだし、きっちり捕球すればよかっただけのこと。大好きな野球を辞めるなんて、それこそ思考外だった。運動をやっていれば、誰だって何かしらの負傷をする。完全に無傷のまま終わる選手なんていないのではないだろうか。
ただ、それは“1度目”だから言えること。さすがに同じ箇所を再度負傷するのは笑えない。私に“内野フライ禁止令”が出されたのは、セカンドフライを捕り損ねたからだ。上手く体勢をとったつもりが、グラブの土手に当たって跳ね返りを左目に受けた。
最初は皆から心配されたが、さすがに2度目となると態度も変わる。
「またか……」
そんな声が聞こえてきそうだった。そしてそれ以降、私へ向けて飛球が打ち上がることはなかった。