食にまつわるエピソードに事欠かないのがイチロー。朝カレーや朝そうめん、遠征先ではいつも同じチェーンの同じピザ、などの偏食ぶりはすっかり有名になった。
もっとも、これらはすべてメジャー移籍後の話。日本での独身時代、食事はいつも牛タン、というのがイチロー偏食伝説の始まり。今でも日本に帰ると、外食ではいつも焼き肉ばかりだという。
そんなイチロー。バッティング同様に肉の焼き方にも独自のこだわりがあった。それは、網の上にのせる肉は1枚ずつ、というもの。その理由として、「この肉を焦がして食べたら(牛の)供養ができない」「一番何が供養になるかと考えたら、一番おいしい状態で食べることじゃないかなっていう結論に達したんです」と、あるインタビューで語っていた。
そんなイチローとメジャー時代、焼き肉を食べに行ったという石井一久(元ドジャースほか)がひと言、「網に緊張感があった」。
焼き肉に一家言ある男、といえば東尾修(元西武)も外すわけにはいかない。自身で何軒もの焼肉店をプロデュースするほどの焼き肉好きである東尾は、西武の監督時代、ドラフト指名した松坂大輔との交渉の席でも焼き肉店を使用した。
その際、松坂は網の上にどっさりとカルビをのせた。これを見て「高校生の食べ方はそれでいいが、プロになったんだから一枚一枚きれいに伸ばして焼かないとバカにされる」と諭した東尾。入団後、春のキャンプで焼き肉パーティが開かれた際、一枚一枚肉をきれいに焼く松坂の姿があったという。
そんな松坂の姿が「アイツ、若いのにマナーを知っているじゃないか」と評判になり、チームに溶け込む契機となったわけだ。
東尾と松坂の焼き肉エピソードは他にもある。2013年の第3回WBC。アメリカラウンドに進出した侍ジャパンは現地で焼き肉決起集会を開催。このとき、代表メンバーではないにも関わらず、サプライズゲストとして激励に訪れたのが松坂。投手コーチを務めていた東尾からの依頼で実現したという。焼き肉で始まった師弟関係は健在だった。
◎実家の焼肉店を臨時休業させた、鈴木尚広の晴れ舞台
東尾のように、現役引退後に焼肉店を開業・プロデュースする選手は意外に多い。一方、実家が焼肉屋だったという選手はそれほど多くはない。
森本稀哲(元日本ハムほか)の実家は東京都荒川区西日暮里の焼肉店「絵理花」。野球ファンも多く集まる人気店だったが、建物の老朽化と両親の体力的な問題のため、2013年に惜しまれつつ閉店した。
巨人の走塁スペシャリスト、鈴木尚広の実家も焼肉店。両親は福島県相馬市で焼肉ハウス「すずや」を経営し、30年以上にわたって盆も正月もなく、年中無休で働き続けてきたという。
そんな両親が初めて店を休業したのが2015年のオールスターゲーム。鈴木尚広がプロ入り19年目にして初の球宴出場を果たした年だ。
息子の晴れ舞台を見ようと臨時休業し、応援に駆けつけた両親の前で、鈴木尚広は見事に球宴初盗塁に成功。試合後、鈴木は「店を休んで見に来てくれたので何とかいいところを見せたかった。いい形で恩返しできてうれしい」と笑顔で語った。
DeNAファンの間ではすっかりおなじみのエピソードが「三浦ビーフ伝説」だ。
「ハマの番長」こと、三浦大輔に焼き肉やステーキをごちそうになった選手は、その後の試合で活躍をする、というもの。
2014年8月12日の中日戦、6対4で勝利したあとのコメントで、タイムリーを放ったバリディリス、ブランコが「昨夜、ミウラさんがステーキを食べさせてくれたので、ミウラビーフパワーだね」と判を押したように同じコメントを披露。また、この試合でホームランを打った石川雄洋も、「昨日、三浦さんにステーキを食べさせてもらったので、パワーが付いて打球がスタンドまで届きました」と笑顔で話した。
ほかにも2014年にはグリエルが、2015年にはロペスが番長から焼き肉を奢ってもらった翌日にタイムリーヒットを放ち、「きのうのミウラミートでヒットです」とコメント。
2015年のシーズン前には山崎康晃がテレビ番組の企画で、伝説の三浦ビーフ会に初参加。「新人王は大きな目標ですけど、ミウラビーフにあやかって一生懸命頑張ります」と決意表明した。その後、宣言通りに新人王を獲得したのはご存じの通りだ。
さて、プロ野球もようやく真夏の連戦を乗り越えた頃。選手はもちろん、野球ファンであっても、連日の暑さで今が疲れのピークかもしれない。だからこそ、焼き肉パワーで英気を養い、実りの秋を迎えたい。
文=オグマナオト