中井は「広陵の野球部は大家族だ」という。もちろん中井が父で、中井の監督生活を支えてきた夫人が母。選手が息子だ。
父が息子を思い、息子が父と母を慕う深い絆でつながった家族のようなチームを作ってきた。故に中井は「嫌われようがかまわないし、言いたいことを言い、当たり前のことを当たり前に伝えていく。いつだって心は裸で向かっていきます。家族なんだから」という。
お互いの理解を深め、チームの信頼と団結を図る。その思いはしっかりと選手たちに伝わっている。プロになった選手も含め、OBが頻繁に母校のグラウンドに足を運ぶのがなによりの証拠だ。中井はOBのことを「大きなお兄ちゃん」と呼び、OBの指導はいつでも歓迎している。
また、近年は「ノーサイン野球」を掲げており、息子(選手)たちに自らプレーを判断するように促している。これも選手を家族のように信頼しているからこそ、できることなのだろう。
ちなみに選手に愛称を付けるのも好きで、西村の「フランケン」も中井監督が命名した。
「中井=広陵野球部の父」としての振る舞いは、2007年夏の甲子園での佐賀北との決勝戦で如実に見ることができる。
この試合、広陵は4対0とリードして8回裏を迎えていた。野村と小林のバッテリーが佐賀北打線を抑え込む展開で、夏の甲子園制覇は目の前に迫っていた。
しかしこの大会、佐賀北は劇的な勝利を重ね決勝まで勝ち上がり、猛烈な「がばい旋風」を巻き起こしていた。8回裏、佐賀北は反撃を開始。1死満塁のチャンスをつかむ。「地方の公立高が強豪を倒す」。そんな構図が観客の判官贔屓を煽り、甲子園のムードは佐賀北一色に。異様な空気がグラウンドを包んだ。
審判も空気にのまれたのか、ストライクに見える球もボールと判定される。野村は押し出しで1点を失い、直後に逆転満塁本塁打を打たれてしまう。際どいコースを佐賀北ムードに封じられ、野村の球は甘いコースに吸い込まれていった。結果、広陵は優勝を目前に敗戦。
やりきれない思いでいっぱいの選手を見た中井監督は、試合後に審判の判定を批判。これは高校野球の指導者としてご法度だが、クビをかけてでも「おかしい」と口に出し、息子たちの気持ちを代弁した。
中井は常々「審判のジャッジは絶対。文句を言うな」と言ってきた。そして、選手はその教えを守ってきた。だからこそ、おかしなことが起こったときには、「おかしいことはおかしい」と父の自分が言わねばならない。そう思ったのだろう。
中井は後日、高野連より厳重注意を受ける…。「広陵の父」は強く偉大だ。
■大井道夫(日本文理)
1986年から日本文理を率いて32年。新潟から甲子園の頂点を目指し続けた大井道夫が今、「最後の夏」を戦っている。この夏を最後に勇退を決断したのだ。
大井は宇都宮工のエースとして1959年の夏の甲子園で準優勝。監督としても手腕を発揮し、無名だった日本文理を春夏合わせて13度、甲子園出場に導いた。
強力打線で乗り込んだ2009年夏には全試合2ケタ安打をマーク。新潟県勢として初の決勝進出を果たした。
この決勝は9対10で中京大中京に敗れたが、9回裏2死走者なしから5点を奪う猛反撃を見せ、高校野球史に残る名勝負を繰り広げた。新潟勢の優勝は夢じゃないと証明してみせたのだ。
大井の野球の特徴は、とにもかくにも打撃重視。
なぜかというと、選手時代も監督になってからも「打てなくて負けた」という経験を多くしたから。とにかく相手よりも多く点を取って打ち勝つ野球を信条にしている。
練習時間の約7割が打撃練習に充てられるため、選手から「守備練習もやらせてください」と言われたことがあるほど極端だ。
バントも「アウトを楽に与えてしまう」として嫌っており、ある試合で自主的にバントをしようとして失敗した選手に「なんで打たないんだ!」とカミナリを落としたことも。
ちなみに、その試合は最終回にサヨナラ本塁打で勝ったのだが、殊勲打を放ったのはなんとバントを失敗した選手だった。
打った瞬間、大井監督はドヤ顔をしていたに違いない。
昨秋の北信越大会準決勝で破れ、今春のセンバツ出場が絶望的になった大井は、それを「監督の責任」として、2月に一度ユニフォームを脱ごうとした。
その後、周囲の慰留で夏までの続投が決定したわけだが、会見で「この夏は甲子園に乗り込んで、できれば『てっぺん』に立ちたい」と公言にしたことから、まだ心残りがあったと感じる。
2009年夏、あと一歩のところまで中京大中京を追い詰めた粘りを、この夏、もう一度見せられるか。
忘れ物を手にし、心置きなく後任にバトンタッチすることを願う。
高校野球の指導は、単に野球を教えるだけでなく「テーマ」が必要ということを中井監督と大井監督は教えてくれる。
中井監督は「家族」をカギにチームをひとつにし、大井監督は「打つ!」という自分の願望を素直に表して、選手に接した。
そして、ブレずにテーマを突きつめるからこそ、選手も安心して「監督さんについいていこう」と思えるのだろう。
30年近いキャリアは伊達ではない。
(本稿の中井哲之監督の章は、本誌『野球太郎NO.010 高校野球監督名鑑編』に掲載された特集「筋を曲げない気概の男・中井哲之の哲学」(取材・文=服部健太郎)を参照、引用しています。本誌の特集記事もぜひご覧ください)
文=森田真悟(もりた・しんご)