「ドラフトの直前に1位候補として新聞に名前が挙がったのですが『これはドラフト戦略上の作戦的な意味合いで、自分の名前が使われているに違いない』と思ってましたね。よくて2位か3位あたりだと思ってましたし、かなり疑ってました」
ドラフトの10日後に立命館大学野球部の合宿所の一室でおこなわれたインタビュー。桜井俊貴は今秋のドラフト当日の様子を屈託のない笑顔を交えつつ、振り返ってくれた。
「記者会見場の控え室で監督と一緒にドラフト会議開始の時間を迎えたのですが部屋にテレビが無かったので、自分のスマートフォンで進行状況をチェックしてたんですよ。そうしたら突然1巡目で自分の名前が画面に出てきて。『うわ、出た!』と」
まるでおばけでも出たかのような説明に、筆者は思わず吹き出してしまった。
「目の前にいる監督に『ぼく、巨人の一位指名みたいです』と自分で報告しました」
会話が一区切りつくごとに楽しそうに笑う。思わずこちらも笑顔になってしまう。
(プロの世界に入っても、先輩や首脳陣に絶対可愛がられそう!)
会って数分でそんな確信に至らせる、好感度大の男である。
22年前の秋、7歳上の姉に次ぐ、桜井家の二番目の子どもとして、兵庫県神戸市にて生を受けた桜井俊貴。体重3946グラムのビッグな赤ちゃんだった。
当時のオリックスの本拠地(現ほっともっとフィールド神戸)に程近い地区で生まれ育ったこともあり、幼少の頃から野球は身近な存在だった。
「オリックスの谷佳知選手が好きでしたね。ひとりで球場に行き、外野席に座って観戦することもしょっちゅうでした」
小4の冬、公園での野球遊び仲間だった友人3人と地元の軟式野球チーム「多聞東少年野球」に入団。練習初日、キャッチボールの様子を見た監督にいきなり告げられた。
「おまえピッチャーやれ!」
以来、今日までポジションは投手一筋だ。
「気づいたら試合で投げてました。毎週末の野球の練習や試合が楽しみで仕方がなかった」
神戸市立多聞東中では軟式野球部に所属。エースナンバーを背負った3年時の市内大会でチームを準優勝に導いた好右腕の元には、複数の強豪私立高校からの勧誘が届いた。しかし、桜井は「公立高校を目指して、ずっと頑張ってきた受験勉強を最後までやりきりたかった」という理由から、地元の公立進学校である兵庫県立北須磨高校を受験する道を選択。見事、志望校への合格を果たす。
「野球ばかりの高校生活を送りたくなかった。北須磨は文武両道をモットーとする学校。勉強も部活も両方頑張りながらの高校生活が送りたかった」
日々の練習時間は短く、甲子園出場は現実的な目標にはなり難かったが、与えられた環境のなかでベストを尽くす桜井の姿勢は終始一貫していた。
「甲子園は無理だとしても、強豪私学に一泡吹かせたいという思いはありました」
エースとしてのぞんだ3年夏、2回戦で兵庫の強豪私学・育英高校を破る番狂わせを演じた。「残念ながら3回戦で敗退してしまったけど、育英を倒せたことがとにかく嬉しくて。勉強も野球も高校時代にやれることは全部やった。悔いは一切ありません」。
育英戦での好投が決め手となり、スポーツ推薦による立命館大への進学が決定。「大学では強いところでやりたい」と考えていた桜井にとっては願ってもない進路だった。
「『大学では野球を集中的に頑張って、4年間でプロにいける選手になろう』と思ったんです」
その言葉を聞いて筆者は驚いた。プロの世界への意識は大学で成長を遂げていくなかで、次第に芽生えていったものだと勝手に決めつけていたからだ。
――え!? 桜井さんは大学入学の時点で、4年後にプロになろうと考えていたのですか!?
「はい」
――高校時代からプロへの意識はあったのですか?
「いえ、ないです。そんな実力がないことは自分でもわかっていたので」
――わかっていたけども、プロになるという目標を大学野球に足を踏み入れる前から立てていた、と。普通はある程度の自信が芽生え、プロへの現実味が増したところで、『なれるかもしれない。よし頑張ってプロになろう』というパターンがほとんどだと思います。
桜井の返しは明快だった。
「『自分にはまだまだ伸びしろがある』という感覚が高校時代からあったんです。高校時代の練習時間は短かったし、そのなかでベストを尽くした自信こそありましたけど、しっかり練習をしたという実感は正直なかった。野球に集中できる環境に身を置いたら、自分はまだまだ伸びることができるんじゃないか。そんな予感があったんです」
高校卒業時のストレートの最速は130キロ台後半だった桜井。プロの世界を手繰り寄せるべく、「大学4年間のうちに150キロを投げられるピッチャーになる」という目標を設定し、大学野球に飛び込んだ。
私は桜井に尋ねた。「大学に入学した段階で、4年後のプロを目指していることを周囲には公言していたのですか?」と。
桜井は少し照れたような表情を作った後、こう言った。
「誰にも言ったことないです。この話は今日、初めて言いました。ずっと心のなかにとどめてきた思いなんです」
「練習時間がたっぷりとある上に専用球場があるという大学の環境にワクワクしながら、毎日練習していました」
大学入学後、まるで乾いたスポンジが水を吸収するかのような右肩上がりの成長を遂げていった。
公式戦デビューを果たした1年秋にいきなり最優秀防御率を獲得し、投手陣の主軸としての地位を早々に確立。ボールのスピードも順調に上がっていった。
「日々の練習をこなしていくなかで、自然とスピードが上がっていき、2年秋には145キロが出るようになった。でも、そこでピタッと止まってしまったんです」
3年春にはMVP、最優秀投手賞、ベストナインを獲得する大車輪の働きを見せたが、桜井の心はもう一つ晴れなかった。
「スピードがすべてではないことはわかっているんだけど、自分のなかではものすごく停滞してる感覚に陥ってしまって。ぶち破れない壁が目の前にずっとあるような日々でしたね」
3年秋、プロも名を連ねるU21の日本代表メンバーに選出された。桜井は「あそこが自分の中での転機だった」と振り返る。
「プロの方々は体のケアやトレーニングにものすごく多くの時間を費やしていることを知ったんです。試合前、試合後も気づけばストレッチや体幹トレーニングをおこなっている。自分はそういったことをそれまでなにもしていなかった。コーチの方々からも『体幹とストレッチは絶対にやれ。やったらやった分だけ自分に返ってくるから』と言われたんです。プロがあそこまで時間かけてやってるんだから、プロを目指す自分がやらない道理はないと思いました」
驚かされたのは意識の高さだけではない。厚みのある、プロの体躯のよさにも圧倒された。
「3年秋で体重は75キロ。自分の線の細さをすごく痛感させられました。もっと体重を増やす必要があるなと」
体重が増えれば、停滞しているスピードが上がる予感もあった。
「空腹の時間をつくらないやり方が一番体重が増えると聞いたので、食事の回数を増やしました。あんパンやリンゴジュースを常備し、食事と食事の間に詰め込む。間食を含めたら一日に7〜8食を体に詰め込んでいたと思います」
苦しんだ甲斐あって、翌春のシーズンを迎えるころには7キロの増量に成功。82キロのボディで投球したところ、スピードは自己記録を一気に4キロ更新する149キロをマークした。
「腕の振りが以前よりも明らかに速いんです。最初のうちは速くなった腕の振りを思うように制御できず、コントロールがぶれてしまうほどでした」
一時的に副作用を起こすほどの進化を遂げた4年春を経て、迎えた大学野球ラストシーズン。
ドラフト会議の8日前におこなわれた関西大戦で、桜井は一世一代の投球を見せる。延長14回、206球を投げ抜いての完投勝利。ストレートは自己最速を更新する150キロをマークし、大学入学前に立てた目標スピードについに到達した。
「200球以上投げてもまったく疲れなかった。今のところ人生のベストピッチです」
この日、バックネット裏には最終チェックとばかりに、プロのスカウト陣が集結していた。そんな力の入りがちな状況でベストピッチをおこなえてしまうところに、桜井の類い稀な勝負強さを感じずにはいられない。
「開幕ローテーション入りとシーズン2桁勝利を目指します」
終始笑顔のまま、淡々とした口調でルーキーイヤーの抱負を語った桜井。口にした目標はけっして低いものではないが、気負った様子は微塵も感じられない。思わず「巨人のドライチのプレッシャーに押しつぶされそうにならない?」と尋ねてしまった。
「プレッシャーですか? いえ、なんにも感じないです」
――不安なことは何もない?
「ないです。あ、生まれて初めて関西を離れることについては少し不安ですけど…」
この男、やはり大物である。
この記事は『野球太郎 No.016 2015ドラフト総決算&2016大展望号』の「野球太郎ストーリーズ」よりダイジェストでお届けしております。
野球太郎No.016 2015ドラフト総決算&2016大展望号 |
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発売日:2015/11/28 | |
価格:1500円 | |
ISBN:9784331803196 |