プロ野球選手と呼ばれる時間は短い。10年足らずという者が大半で、15年、20年と続けられるのは、ほんの一握りだ。それでも、選手を辞して「セカンドキャリア」を歩む時間の方がよっぽど長い。「セカンドキャリア」をどう充実させていくのか。プロ野球の世界で培ったことをどう生かしていくのか。野球人にとっては避けて通れない話だ。
現役時代は巨人、中日で捕手として17年間プレー、決め台詞の「やりましたー!」など明るいキャラクターで鳴らした小田幸平氏の場合はどうなのか。
「肩書は、基本的には野球評論家です。あとは、所属している愛媛マンダリンパイレーツ(四国アイランドリーグPlus)のヘッドコーチ。ほかにも講演やトークショー、野球教室など、オールマイティーにやっています。InstagramやYouTuberもやっていますしね。もはや“何でも屋”と言っていいかも(笑)」
Instagramのフォロワーは1万9000人、YouTubeチャンネルの登録者数は3万6000人。知名度や実績が加味されやすい元プロ野球選手の中でも、多くのファンを獲得している小田氏。なぜ、情報発信を続けるのか。その理由はとてもシンプルなものだった。
「SNSやYouTuberはもともとやりたいと思っていました。今の時代、様々な方法で自分のことを探されるし、こうして“あの人は今”みたいな取材を受けるし(笑)。やっぱり、ファンだと気になりますもんね? だから、『僕はこういうことをしています』というのを伝えたい。そこから野球教室を頼みたい人につながったり、テレビ局の解説を探している人にもつながるかもしれないので」
話題は愛媛でのコーチ業へ。小田氏は現在、かつてのチームメイト・河原純一監督の下、研鑽を積んでいる。
「河原さんから『来てよ』と言われて、愛媛での日々が始まりました。最初の2年間は臨時コーチで行っていました。あの人はシャイだとよく言われますが、僕はその意味がよくわからないです。休みのときは一緒にゴルフに行っていますし、毎日2人でよくしゃべりますよ」
先輩と仲よくなるのが上手そうなイメージも抱くが……。
「それは上の人が決めることですから。ただ、僕の場合は挨拶や常識的なことに抜け目ないですよ。これは社会人時代(三菱重工神戸)に学んで、清原和博さん(元西武ほか)にも育てられた部分です」
独立リーグは、下は高校卒業間もない10代の選手、上も20代中盤と、ほとんどが小田氏と親子ほどの年齢差がある。まだまだ精神的にも成熟していない若者を相手に、指導はプレー以外の面も求めていく。
「うちのリーグはNPBを目指すところでもあるし、諦めるところでもあります。彼らに対してはそういう目で見ていますし、NPBに行っても失敗しないような用意をさせるために、NPBと同じように扱っています。プレーだけでなく生活面も含めた全ての面においてです。それが彼らにとってのプラス材料でもあるし、愛媛に入ったラッキーな部分ですよ」
今季は「リーグ優勝が当たり前」。その上で「1人でも多くNPBへ送り出したい」と意欲を見せる。シーズン、そして秋のドラフト会議が楽しみだ。
現役選手、指導者、解説者として多くの経験を積んできた小田氏にとって、理想のチームはあるのだろうか。そこで出てきたのは、野球以外にも通じるものだった。
「サインどおりに皆が動いてくれるチームが理想ですね。当たり前の当たり前にできる選手が、僕は一番すごいと思っています。例えば1点取ればサヨナラの場面、無死一塁で考えるのは『まずは送って走者を進める』じゃないですか。その“まずは”が難しい。だから、確実にバントを決めてきた川相昌弘さん(元巨人ほか)はスーパープレーヤーです。社会人でも『これをこなしておけよ』と言ったものを確実にこなしてくれるのがいい部下。そういう人には次のステップも用意されるし、積み重ねればトップに上がれます」
続けて、自らの捕手としての道標を示した桑田真澄氏(元巨人ほか)にも触れつつ、話は熱を帯びていく。
「『あいつに任せれば大丈夫』という選手を作りたいんです。僕は桑田さんと出会って『ディフェンス(型の捕手)でいこう』と決めたときから、守りに関しては誰にも負けない思いがありました。よく調べましたし、誰かから『そうしろ』と言われたわけではなく、聞かれたら何でも答えられるように、準備を怠らずやっていました。『あの選手はどんな選手?』と聞かれたら、ポンと答えられるように。よくベンチで選手名鑑を読んでいたし、周りからは“歩く選手名鑑”と呼ばれるようになって(笑)。おかげで、今でも解説で役に立っています」
今は携帯電話のメモ機能があるが、小田氏は現役時代も今も書いて覚えることを大事にしている。
「僕は書く癖がついているので、どこで何をするかを全部書いています。予定表は今でも自分で全部書く。これは職業病ですね。メモといえば、谷繁元信さん(元横浜ほか)はすごいですよ。人には見せませんが、部屋に行くとノートがありました。あの3000試合以上出たスーパープレーヤーですら書いているんだから、僕も書かないといけないと。最初はノートを宿舎に置いていっていましたが、すぐに忘れるので、一緒に球場に持っていって書くようにしました。丸佳浩選手(巨人)ほど綺麗にゆっくり書かないので、もう一度確認しながら清書して。2倍時間がかかる? 全然、何とも思わなかったです。愛媛の子たちにも書く文化は残したいですね」
今年1月には飲食店『Good「A」』を新橋にオープン。小田氏はオーガナイザーとして自ら店頭に立ち、居合わせた客と交流を図ることもあるそうだ。
「タッグを組んでいるのは中学時代の友人。引退後に講演で新大阪駅に行ったとき、突然声をかけられて再会したら、彼は全国で会社を何個もやっていて、6000人を束ねる社長になっていたんです。そこから新橋でお店をやろうとなって、立ち上げました」
店名にもこだわりがあったようで……。
「僕は一つだけ条件を出して、『BAR小田』とか『小田●●』とか、見るだけでわかる名前にはしたくなかったんです。仲間内でわかるような名前にしようということで『Good「A」』になったのですが、アルファベットを分解すると“ゴー小田”と読めるんですね。頭がいいなと(笑)」
店内は球場をイメージした内装で、人工芝を敷いている。テレビを16台置いており、客はBluetoothで好きなチャンネルを聴けるようにしたという。関東在住のドラゴンズファン交流会を開くなど、イベントにも対応している。
「シーズン中でも東京に行くときは絶対に顔を出します。2号店を名古屋に出そうか、なんて話も出ていますよ」
小田氏が43回目の誕生日を迎える3月15日は残念ながら定休日だが、プレゼントは前後1週間受け付けているという。小田氏に会いたい人や、野球に飢えている人はぜひ訪れてみてはどうだろうか。
取材・文=加賀一輝(かが・いっき)