2006(平成18)年のこの日、巨人・仁志敏久と横浜・小田嶋正邦のトレードが発表された。もともと仁志は巨人・原辰徳と微妙なすれ違いがあり、2002(平成14)年の第一次政権時には不慣れな2番打者で起用されたり、前年は小坂誠の獲得、当年はルーキーの脇谷亮太の積極起用などで出番を減らしつつあった。1995(平成7)年に巨人入りした生え抜きの仁志にとって、選手生命をかけた決死のトレード志願だった。