雑誌『野球太郎』の連載でも御馴染み「伝説のプロ野球選手に会いに行く」の「週刊版」。現在、文庫版“伝プロ”も絶賛発売中!
この時期、各球団のキャンプ地を取材していると、往年の名選手に出会うことがあります。たいていはテレビ・ラジオの解説者、もしくはスポーツ新聞の評論家として、各チームの出来を視察しているわけです。
僕は例年、各キャンプ地を飛び回るほどの取材はしていないのですが、それでも行った先では、往年の名選手に出会わないほうが少ないかもしれません。出会えても気軽に話しかけられるような方々ではないですから、挨拶をして返してもらえたら、それだけでうれしくなります。
しかしやはり緊張します。遠目に見ていても緊張するような、キャンプならではの光景もありました。
今でも忘れられないのは、4年前の宮崎、ソフトバンクキャンプ。ブルペンに設けられた視察用のスペースを見ると、金田正一さん、鈴木啓示さん、江夏豊さんと錚々たる3人が並んで、何やら話し込んでいたシーンです。
周りから「3人で何百? 900?」という声が聞こえました。いかにも、金田正一400勝、鈴木啓示317勝、江夏豊が206勝ですから、計923勝……。
もちろん足せばいいというものではない、勝ち星を足してどうなるものでもないんですけど、その人は元左腕エースが並ぶ姿を見た途端、偉大なる数字が真っ先に思い浮かんだんでしょう。
僕は聞いて思わず笑い、周りからも笑い声が起きていました。その笑いは、何かもの凄い体験をしたときに、笑うしかない精神状態になってしまうのと同じだと思います。
「923勝」は稀な例としても、キャンプのブルペンで往年の名投手を目にすることは珍しくありません。しかしながら、視察用のスペースとは違って、ブルペンの中に入る方は多くないと思います。つまり、マスメディアの仕事で見るのではなくて、監督からの依頼で現役選手を指導する方。
僕自身、これまでに一人だけ、指導している姿を見たことがあります。1950年代から中日で活躍した元エース、杉下茂さんです。
それ以前、杉下さんには『伝説のプロ野球選手に会いに行く』の取材でお会いしていました。2000年の6月のことですが、きっかけはまさに同年のキャンプ報道。
[フォークボールの元祖]にして[フォークの神様]と呼ばれる杉下さんが、プロ2年目の松坂大輔にフォークの投げ方を教えた、という新聞記事でした。74歳(当時)になった今も若い投手に教えている、監督も[神様]を頼りにしている、これはすごいなと――。同時に、高校生でもフォークを投げるような今の時代に、なぜ[元祖]の教えが必要なのか、という疑問もきっかけになりました。
取材でうかがった話は、意外なものばかりでした。なにしろ、はじめに出てきた話からして、フォークではなくナックルだったのです。
「ナックルはほとんど回転がなくて、横にも振れる。フォークだって、回転がないんだからそうなる。はっきり言って、今みたいに回転するフォークというのはどうなんだろうね」
杉下さんによれば、本当のフォークはナックルと同じく回転しないボールであって、本来はコントロールしにくいものなのだから、頼り過ぎは禁物とのこと。「ボールの回転はまったくないわけですか?」と尋ねると、こんな答えが返ってきました。
「ない。回転がないから、風が吹くまま、気まぐれに変化して、揺れながら飛んでいくんじゃないかな。僕のフォークは、調子のいいときは3段ぐらいにわたって落ちた。振れながら落ちて行って、バッターの手元でさらに2段階に落ちていく。こう落ちて、こう落ちて、最後はドーンと落ちる」
これこそ魔球と言いたくなる表現ですが、結局のところ、何よりも大事なボールはストレート。そして、大半のフォークは「スプリットフィンガード・ファストボール」と称されるべき、というのが杉下さんの見解でした。だからこそ、今の時代にも、[元祖]として「本当のフォーク」を教えに行っているんだと実感したものです。