週刊野球太郎
中学、高校、プロ・・・すべての野球ファンのための情報サイト

エリート・有原航平と、無名校からのたたき上げ・岸孝之。 対照的な両エースのプロ入り物語

 1カ月に渡りお送りしてきた「高校球児コース別プロ入り物語」も最終回。本稿では段階コース編と題し、高校・大学時代を順当に過ごしプロで大成した【順当型】と、高校時代は無名だったものの大学時代で覚醒しプロで大成した【覚醒型】を紹介してきた。

 今回はパ・リーグの並み居る好投手の中から、順当型・有原航平(日本ハム)と覚醒型・岸孝之(西武)にスポットを当ててみよう。

甲子園を沸かせた剛腕からワセダのエースへ。野球エリート・有原航平


 日本ハムのエースと言えば、二刀流・大谷翔平の名を挙げる人が多いだろう。しかし、持っているポテンシャルを見ると、有原航平だって負けてはいない。事実、今年の春季キャンプでは、取材に訪れた報道陣や評論家のほとんどが「今年の有原はすごい」と絶賛。7勝、防御率2.06は大谷と遜色ない成績である(データは6月27日現在)。

 広島で生まれ育った有原は、金本知憲(阪神監督)や野村祐輔(広島)を輩出した名門・広陵高で2年秋からエースに。1学年下には、のちのチームメート・上原健太(日本ハム)がいた。

 最終学年では春夏ともに甲子園出場。186センチ90キロと当時から恵まれた体を有し、スリークオーターから放たれるストレートは常時140キロ台を計測していた。チェンジアップとのコンビネーションも完成度が高く、春はベスト4進出。夏は初戦で聖光学院(福島)に敗れ、自らの暴投振り逃げが決勝点になる後味の悪い結末となった。

 その無念を晴らすべく、有原は早稲田大に進学。高校時代にプロ志望届を出していれば「2位までに消える」と言われただけに、都の西北でも下級生時から実力を遺憾なく発揮した。3年春からはチームの右腕エースナンバー「11」を背負い、最優秀防御率やベストナインのタイトルを獲得。六大学通算19勝の実績を引っさげ、4球団の競合の末、日本ハムに入団した(写真は早大時代の有原)。


岸孝之、覚醒のきっかけは高校時代のある巡り合わせから?


 ルーキーイヤーからの4年連続を含む7度のシーズン2ケタ勝利、通算勝率も6割を超える「負けないエース」。岸孝之は西武のエースとして十分な実績を誇る。


 某ラジオ局で「しなやかな蒼き刃」と称されるように、細身の身体から右腕をムチのように振ることで快速球を生み出す。チェンジアップやドロップカーブとの緩急自在の投球術は、観る者を魅了する。

 そんな岸の原点は高校時代にある。宮城の県立校・名取北高で投手を務めていたが、最後の夏は初戦に勝っただけで2回戦敗退。しかし、この初戦に勝ったことがある関係者の目に留まる。

 初戦の相手は同じ県立の多賀城高。この試合で岸は、参考記録ながら5回をノーヒットノーランに抑える快投を見せた。与えた走者は死球による1人だけ。その1人が後に進むことになる、東北学院大の菅井徳雄監督の息子だったという。息子の雄姿を観戦しに来ていた菅井監督は、対戦相手だった岸の才能にベタ惚れ。名取北高校関係者や両親を口説き落とし、大学へ迎え入れた。

 大学でも野球を続けることになった岸は、仙台六大学リーグを舞台に奮投。同リーグには全国区の強豪校・東北福祉大が所属していたが、在籍中に同大の35連覇を阻止。東北学院大を18年ぶりとなるリーグ優勝に導いた。この頃は150キロ前後の速球とスライダーを武器とし、大学日本代表でも活躍を見せた。

 岸は「大学ナンバーワン右腕」の評価を与えられ、地元・楽天や巨人からの熱心な誘いを受けていた。しかし、最終的に選択したのは今も在籍する西武。最初から目をかけてくれたこと、さらに同じ細身の右腕・西口文也(昨季で現役引退)の存在も大きかったそうだ。その後の活躍を思えば、岸の選択と菅井監督の眼は間違ってなかったといえるだろう。


文=加賀一輝(かが・いっき)

記事タグ
この記事が気に入ったら
お願いします
本誌情報
雑誌最新刊 野球太郎No.32 2019ドラフト直前大特集号 好評発売中
おすすめ特集
2019ドラフト指名選手一覧
2019ドラフト特集
野球太郎ストーリーズ
野球の楽しみ方が変わる!雑誌「野球太郎」の情報サイト
週刊野球太郎会員の方はコチラ
ドコモ・ソフトバンク
ご利用の方
KDDI・auスマートパス
ご利用の方